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御朱印をもらう資格なし 白虎隊・飯盛山

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※画像は無断の借り物です。

白虎隊御朱印、丁寧に書いたはずが...「手際が悪い」クレームで御朱印帳に記入するサービス取り止め


「書く気持ちにはなれません」

書かれているのは、この店で「白虎隊御朱印」を書き、販売してきた白虎隊墓守家の5代目、飯盛尚子さんのメッセージ。

御朱印について「当分、書く気持ちにはなれません」と観光客の前で書き上げるサービスを取り止めることを知らせる内容だ。

以前は、墓守でもあり書家でもある飯盛さんが、客の持参した御朱印帳に直接記入するサービスを提供していた。しかし順番待ちの人から「一人に何分かけているんだ」とか「手際が悪い」などのクレームが寄せられるようになったという。


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190330-00010000-huffpost-soci


仮にも会津の「白虎隊」の墓前である。このような「我良し」の醜態を晒すなど言語道断。


場を弁えない愚者に成り下がってしまうとは情けない。
しかも人の厚意を理解できないという浅はかさ。当たり前ではないのだから。


墓前での醜態さらし。墓守家の人の厚意を踏みにじる。
(この御朱印を)心から希求していた普通の人々の想いを断ち切る。

まさに恥知らずの俗物どもが犯す罪である。


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会津・白虎隊十九士の墓 (画像は借り物です)



慰霊や参拝が目的ではない、本末転倒な観光地巡りの観光客にとっては苦痛の待ち時間だろうとは思う。

墓守である飯沼氏は、白虎隊士慰霊の為に、自分の土地を松平家に献上してまで墓守を続けてるという誇りがあるだろう。

会津士魂の「ならぬものはならぬのです」。


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会津藩 什の掟(じゅうのおきて)


「御朱印」というものが広まってしまった弊害のひとつですね。
現代では御朱印帳を差し出せば宮司さんや住職さんが書いてくださります。参拝者としては、それだけでも恐れ多いことだと感じ入ると思うのです。


で、よく言われるところの「雑な御朱印だ」とか「心がこもってない」とか「そんなのは欲しくない」とか、それは
大きな勘違いだと思います。そもそもこちらが評価する立場にはないということ。

神職さんやご住職さんと上手く付き合っていくコツは「一般世間的なお客様意識を捨てること」。
あとはやはり崇敬度合いですね。このあたりは言葉ではなく態度・雰囲気になってしまうので、難しいと思います。


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伊勢神宮 外宮
己の真に向くか、あるいは魔に向くか・・・。
神社仏閣は内なる自分(内在)に向き合える神聖な場。



御朱印はあくまでも「参拝した印」であって、あってもなくても関係ありません。本当に参拝した証の云々ならば、その寺社の御札をお受けするべきです。
御札を受けられない(納めるお金がもったいない)、受けてもお祀りできない(面倒くさい)、それでも「目に見える形のモノが欲しい!」という「ライト層」ならば御朱印でガマンするほかありませんが、その場合は分を弁える必要があります。崇敬すらしていないミーハーが、調子に乗ると思うのです。

「御朱印程度でデカい顔するな」というのが崇敬者の気持ちです。


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2019年3月のおついたち参り 安全と平和は祈ってもムダ

遅れながら。
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11月のおついたちから12月の冬至、1月の初詣、2月の節分、そして3月のおついたち。
3月は奇数月なので、神恩祈祷を依頼し、昇殿参拝する月である。
年末年始にかけてのこの時期は5か月連続(5回)昇殿参拝をしている。去年もおととしも同じ。
年末・年始、節分の解厄だと祝詞が若干変わるが、式の流れ自体はほぼ変わらない。

それでもなお、同じ昇殿参拝はない。
神気だの何だのというつもりはないが、天候はもちろん、雰囲気であったり、その時の気分であったり、その日に至るまでの経緯であったり、同じ参拝はない。
ただ、神職さんは毎回講話の内容を考えないといけないからけっこう大変だなと思ったりする。

参拝作法も毎回ほぼ同じで、これだけやっていれば覚えているつもりではあるが、決して間違わないということはないし、タイミングが上手くいかない時もある。何より型に執着することは避けねばならない。
「型を間違えてはいけない」事ばかり考えてしまうと肝心の大神様に奉納する感謝の心が疎かになる。

今回は始まりから終わりまで雨。
体調も100%でなければ精神的にも100%ではない。どうも心身ともに優れない。
どうにも春というのは乱れる季節である。

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「木の芽時」だからこその「木の芽人」も出現しやすい・・・


禅に「無縄自縛」という言葉があるが、まさにこんな感じである。
そう、誰も悪くない。自分を縛ったり呪ったりしているのは自分に他ならない。

生きているからこそ悩めることもまた有難い、という心境にはいささか遠い。

神恩祈祷が終わり、神職さんの講話が終わる。

今回の答辞は、
「大神様のお陰を持ちまして特に大ごともなく平穏無事でございますが、平穏な時こそ慢心しやすい時。
調子のよい時は悪い時。気持ちが緩みがちな今日この頃です。」
「当たり前が当たり前ではない、このことは言葉で言うほど実感しがたく、ついつい心が緩んでしまいます。」
「大神様の前で、こうして自省できる機会があるのは有り難いことです。」

・・・的な感じでしたかね。

ただし、気を付けないといけないのは、神職さんは職業上の宗教家(厳密には宗教ではないが)なので、問題解決の専門家ではないということ。カウンセラーですらない。あくまでも神前における全般の「仲執持ち(なかとりもち)」である。このあたりをはき違えるとお互いに「重い」だけになる。
まして大神様は自分の内在を映す「鏡」であることを考えれば、こうした答辞は「独白」に近い。

問題の解決を図るというよりは自覚すること、自省することが肝要かと思われる。


このように神仏祖霊に対して、基本的に「祈り、願う」ということはない。
さらに、神さまに祈りました、御先祖様に願いました。
はい大丈夫!・・・・・・ということはあり得ない。

自覚と自省が肝要であるのと同様に、想定と心掛けだけは最低限しておきたい。


たとえば日常生活においてもどれだけ想定しているか・・・。


クルマは必ず歩行者を優先してくれる
→運転する人が必ずしも「正常」とは限らない。
 こちらが見えていないかもしれない。


歩きスマホしていても相手が避けてくれる。
→相手が避けてくれることを期待することは運気の低下にもつながるだけでなく、
「当り屋」の可能性だってある。
女性は体目当ての因縁をつけられたり、強盗に遭う可能性が高くなる。


うちには盗られるものがないから泥棒なんかこない。
→入るのは「プロ」だけではない。
食い詰めた素人や外国人が手当たり次第に侵入したうちの一件にたまたまなってしまい、
最悪室内で遭遇して殺されることもある。





権利ばかりに身を委ねて、何かあったら泣きわめいて「被害者さま」になればよい。
そう考えている人が多すぎやしないか、と。
日本人同士だから、あるいは日本人相手だから通用している部分が大きいとは思う。


安全と安心はタダではなく、移民と在日のあふれる未来にはテロの可能性もゼロじゃない。
明日にもあなたの家族や知人が殺されたり、怪我をしたりすることも大げさではない。
間違いなく日本人がやられる側になる。

「当たり前は当たり前ではない」
平和な生活も、あっさり殺されない人間関係も、当たり前ではない世界に入りつつある。




〇今月の奉納酒

・氏神様へ
「菩提もと つげのひむろ 黒澱 蔵内瓶貯蔵」 倉本酒造@奈良

今の醸造法の元祖ともいえる菩提酛仕込み。奈良・正暦寺が発祥だそう。
大神神社の近くの今西酒造(三諸杉など)もこのお寺から分けてもらっていましたかな。


ただ、昔ながらの瓶の口周りの安っぽい金の包装?がイヤなんですよね。
奉納ものにはちょっと気に入らないな~と言って店主を苦笑させてしまいました。

・自宅神棚
「菩提もと つげのひむろ」 同上
こちらはノーマルな方。

「玉旭 blue」 @玉旭酒造@富山
ド定番。



「アルコールを摂取したいだけの人が多すぎる」

アルコールを愉しむ生活習慣よりは日本酒を楽しむ文化がもっと浸透すれば良いのにと思いましたが、
まぁ無理でしょうね。



良い酒は、体力気力や心身ともに、ある程度しっかりしていないと味わえない、のですから。
受け止められないんですよね。



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”初期ガリィ”が懐かしい「バトルエンジェル アリータ」


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(私は原作ファンです)


〇映画を観た感想。

初々しくて可愛らしい、それでいてけなげな「初期ガリィ」を堪能できました。
少女時代の、キュートだけどとっても強い彼女の魅力を再び味わえることが出来ました。
だからこそ、終わった時の切なかったこと。

アリータの目の大きさは鑑賞中はまったく気にならなくて、むしろ「サイボーグ」である彼女の人間味を醸し出してくれる。普通の目の大きさだったら逆に印象に残らなくてつまらなかったかも。

原作から哲学的要素を排していると言われているが、興行を考えた娯楽性をもたらすための判断であるとしたら、それはやむを得ない。それは原作を知らない人にとっては重い。


評価などを観る限り、原作ファン以外にも概ね好評であるようです。
ただ、自分の言葉ではうまく説明できない。
これはある意味「原作」に縛られ過ぎている弊害であるように思う。自分自身、原作ありの「実写モノ」の見方を変える必要があると思います。


続編が気になります。
この映画だったらあのシーンはどう描くんだろう? このキャラは誰がやるんだろう?
ものすごく想像力をかきたてさせられます。



以下、ネタバレありです。
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「初期ガリィが懐かしかった!」というのも、「銃夢」シリーズにおけるガリィ(アリータ)は達観系というべきか、「風の谷のナウシカ」漫画版の後期のナウシカのような「超常」的な感じになってしまって、それはもう取り付く島もないほど。



原作だと、ユーゴ(ヒューゴ)が死んだ後の「モーターボール篇」ですでにガチガチの反抗期で、その後の「ザパン篇」で”意識高い系気取りでありつつ微妙にヒネ始めた”になりました。
続く、ザレム地上監察局の走狗となった「Tuned篇」では見事にヒネ曲がってしまいましたが、新恋人のフォギアが登場した頃には多少マシになったものの、

※そのことを敵対関係にあったバージャックの「電(デン)」に指摘されているシーンがある
「電」:ノヴァの息子であるケイオスのもう1つの人格。ガチの武士(もののふ)。


ノヴァとの脳内世界&現実世界において直接対決を経た後は、
(無印版とLO版がごちゃ混ぜですが)

ザレムやイェールに行って、脳筋空手家と殴り合ったり、自分の脳みそがチップだと知っちゃったり、何百年も生きてる歴史の生き証人気取りの吸血鬼に太陽系の運命を丸投げされてしまったり、木星連邦やザレムの中央電脳の協力を(無理やり)してもらったり、生脳ガリィに恋人フォギアを譲ったりで、チップ脳ガリィはすっかりヒネてしまいました。

※ノヴァとの対決後、一旦はノヴァを下したものの、思わぬ反撃によりガリィは大破。
ガリィの遺骸・・・というか欠片がノヴァによってザレムに運ばれて、ナノテクノロジーで再生。その時にこっそり生脳と脳チップが交換されてしまう。

「LO」が終わり「火星戦記」が始まった今や、成長も何も楽しめないヒロインです。
(つまらないわけではありません)

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そういうことで、20年ぶりくらいに「初期ガリィ」にどっぷりできました。しかし、映画の終盤、モーターボールの超大型新人として登場し、ノヴァ打倒を志すその顔はすっかり・・・ああ、成長してしまったんだなぁと切なくなりました。少女時代が終わってしまったんだと。




他に良かった点。

〇表現をがんばっている
原作では当たり前の残酷描写をかなり頑張っている。
首が飛んだり、真っ二つになったり、バラバラになったりするが、さじ加減は絶妙だと思う。

アリータがバラバラになるシーンは映画ならではの悲壮感や悲惨さがにじみ出ている。

●チレンのところは原作そのままに生体標本の方が良かったのでは?・・・と思いましたが、
あれは原作におけるノヴァの研究所がモデルなのではないかと気づきました。
「殺して」状態な訳です。



〇モーターボールのアクションが素晴らしい。
原作では微妙であった「モーターボール篇」を上手くまとめて、映像でとことん楽しませてくれる。
ジャシュガンがチョイ役なのは仕方なし。


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〇場面々々が原作を切り取った感じになっており、原作ファンを喜ばせてくれる

・アリータの表情や風貌が原作のガリィそっくりの画が一瞬だけ、ちょくちょく出てくる

・映画の冒頭、瓦礫の山でジャンクパーツ漁りをしているイドが拾う金属製のスカル等、全体的に小道具がよく出来ています。
また、ヒューゴの乗っていた一輪バイクは「Tuned篇」に出てくるバイクがモデルかと。
クズ鉄町の周囲を囲うウォールの再現度はばっちり。

・バー・カンサスでの乱闘。
特にテーブル上で左右のハンターを同時に酒瓶を蹴り飛ばして当てるシーン。
雰囲気が原作の画と同じなんですね。

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・瀕死を負ったヒューゴがイド診療所で義体装着手術が済み、寝ているところを足側から映している場面。
構図といい、ヒューゴの義体のゴツゴツ感といい、上手い。

・ザレムのチューブの防御リング
ああ、あんな感じなんだって。



〇アリータの演技が上手い
特にベクターのところで怒りが爆発するところが〇。
あの感じはそっくり。「直情径行」な感じがよく出ています。


〇いろんな映画のオマージュあり
ファクトリーのデッキマンがターミネーターみたいだったり、チューブから落下するヒューゴのシーンがタイタニックぽっかったり等々。


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びみょうなところ。

●台本が昔に出た「銃夢」のOVAとほぼ同じ。既視感がある。
チレンやグリュシュカはそこのオリジナルキャラ。
ある意味、安定路線といえる。モーターボール篇を絡ませた上で考えたなら、無理もない。

●イドがイイ人すぎる(笑)

●バーサーカーボディの質感がもうちょっと何とかならんかったか?
「バリアブル骨格筋」の説明がほしかった(笑)

●チレンが解体されてザレム行きの標本になるけれど、脳があるってことは「脳チップ」設定を捨てたってこと?


●機甲術(パンツァ―クンスト)がまんまカンフーアクション
外国人の考える格闘アクションというのはあんな感じなので仕方がないでしょうけど、もうちょっと原作の動きが欲しかったですね。

●義体になったヒューゴがザレムのチューブを無理やりよじ登っていく理由が弱い。
ヒューゴの家族(兄が気球でザレムを目指していた)の回想や、ベクターの「ザレムで乞食をするのか?」に対する返答「ザレムで乞食をするのさ」等がないため、ちょっと弱い。

●ゲルダ(ミシェル・ロドリゲス)が原作より出ている?
ガリィの師匠筋にあたるゲルダが原作より登場しているんではないかな・・・?
ええ、原作「火星戦記」には未だ「機甲術」すらロクに出ておりませんし、作者の遅筆ぶりはなかなか改善しませんねぇ(苦笑)。



〇ノヴァについて
「銃夢」シリーズの最重要キャラにして、漫画史上屈指のマッドサイエンティスト。
ディスティ=ノヴァ教授(エドワート・ノートン)。

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「キャハハ」と「おいちい!」が口癖。

プリン大好きな狂気狂気狂気!のキャラですが、己がモルモットとして生まれたことを知り、それでいてなおその業(カルマ)を自力で克服し、研究を続けている剛の者でもあります。

「私はその生い立ちが人工的な点について君たち(ガリィたち)と変わりはありません」


ガリィの回想で一瞬出てきたときは「コスプレかっ?!」と冷や汗が出ましたが、最後のシーンで多少マトモなビジュアルだったので一安心。
原作ではザレムを追放(逃亡)されクズ鉄町に住んでいますが、映画ではザレムにいます。
「ザレム地上監察局」のビゴット・アイゼンバーグ局長的なポジションかも。


映画では「キャハハ」も「プリンおいちい」もない冷酷無比な科学者な感じで、今後も映画オリジナルになっていくかもしれませんね。



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『アリータ:バトル・エンジェル』公式サイト
http://www.foxmovies-jp.com/alitabattleangel/



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歴史に学ばなければならないのは日本人

基本的には韓国が嫌いなスタンスではある。
ただ、嫌いではあるが、韓国は悪くはない、悪者ではない。
むしろ日本人がバカなのだ。


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「背乗り・乗っ取り」の典型を描いた藤子不二雄Aの「魔太郎がくる!」。
決して昔話ではないのだ。


反日であろうが、天皇陛下を侮辱しようが、国内で乱暴狼藉を働こうが、
(悪いことは悪いが)韓国と韓国人は悪くないと思う。

向こうの文化・教育・習慣ではそれが当たり前であり、彼らが何ら心に罪を負う事も無い。

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若者が憧れるソウルの100年前。


日本が「泥棒」「嘘つき」と悪口をしたところで、それが相手に響くことなどない。
そもそも韓国には「泥棒」「嘘つき」という概念がなく、それが(日本でいうトコロの)「悪い事」という認識が無い。それこそ「盗られる方が悪い」「騙される方が悪い」のである。
また、韓国人が発言している時は本気でそう思っている。後で考えが変わっただけであり、それは嘘ではないという理屈である。このあたりは中国でも同じような感じであり、多少はマシという程度。

たまたま日本が文化的にも経済的にも治安的にもそっちの方向に進まずにすんだ幸運を噛みしめるほかない。しかし、噛みしめ過ぎた結果、まったく話が通じないどころか、一方的にやられまくっているのが現状と今。

「泥棒」「息をするように嘘をつく」というのは日本人と日本文化からの視点でしかなく、それは日本人にしかまったく意味を成さない言葉や概念である。というより、あちらさんに精神的にダメージを与える日本の言葉は差別の名のもとにすでに「狩られて」しまっている。


日本人の悪癖のひとつである「相手を説得しようとする」ことも原因であると思われる。
「話せばわかる」病ともいう。

加えて「あの人は良い人」病。
「付き合ってみるとイイ人」というのは、それはあなた個人の感想でしょう?
あくまでも個人と個人の、あるいは日本人大多数のコミュニティにおける優位状況における個人の感想であって、状況次第でいくらでも変わっていく。
自分の知人友人以外はただの外国人。人個人としての価値と、集団としての価値は別に考えなければ「軒を貸して母屋を取られる」ことになる。


「在日」の問題もある。
日本人と中国人は韓国人に対して嫌悪という点で一致する。
日本人と韓国人は在日韓国・朝鮮人に対して嫌悪するという点で一致する。
日本にとっては戦後の「朝鮮進駐軍」の被害が今でも消える事は無いし、韓国人にとっては「祖国が一番大変な時に逃げた裏切り者(の子孫)」として、とてつもない差別を根底に秘めている。

韓国人が、生活している自国で反日をやろうが天皇陛下を侮辱しようが、(腹は立つが)それはそれで仕方のないことである。
しかし、住まわせてもらっている他国において、帰る事の出来ない祖国と民族のためにお金を稼いで貢ぎ、便宜を必死で図り、決して報われることも赦されることもないその在り様を考えると悲惨であるとは思うが同情の余地は無い。そんなことをしていたら、こっちが丸ごと食べられてしまう。




結論としては、歴史に学ぶ必要があるのは日本人の方だ、ということだ。
改めなければならないのは日本人のバカさ加減。



福沢諭吉の「脱亜論」。
吉田松陰「朝鮮人の意識改革は不可能」
伊藤博文「嘘つき朝鮮人と関わってはならない」
新渡戸稲造「朝鮮亡国の原因は、朝鮮民族という人間にある」
新井白石「朝鮮人は、己に都合が悪くなると平気で嘘をつく」
本田宗一郎「韓国人と関わるな」

よくあるまとめからの引用ではあるが、歴史上で多くの日本人が「距離をおく必要がある」と繰り返し言っているということは認識しておく必要がある。最低限のレベルとして。


敵対し嫌悪する必要も無いが、仲良くする必要も無い。
そう、どこからかの声で殊更に「仲良し」「友好」を強調するが、文字通り受け取るのは世界中でバカな日本人だけだ。そのあたりは中国や韓国・朝鮮の方がよく分かっている。
友好とは「お互いに不可侵」である認識のもとに、歴史に学ばねばならないのは、むしろ日本人であると思う。

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「癒し」は「卑しい」 

ふと思い出した。


ペットショップ勤務時代の事。
ペットショップには「愛情こ〇き」がよく来る。


〇風物詩「ヒナ鳥」

たまに野外で鳥のヒナを拾った人が来る。
「季節的イベント」でもあるので特に珍しくは無い。しかし、正直なところ、対応が面倒くさい。


どこのペットショップであっても「野鳥のヒナ」は専門外であることを念押しし、獣医に連れていくことを推奨。
そもそも野生のヒナを拾う事を推奨しているところは何処にもないのだが、そんなことはすでに耳に入らない。

「でも、かわいそう」


必要な用品を説明し、特にヒーター関係が必須であることを伝える。
鳥の体温はとても高い為、またヒナは自分で体温が保てない為、しっかりとした保温が大事。もちろん餌だってヒナが幼ければ幼いほど頻繁に与えなければならない。

だけど、「とても買えない」「高い」「お金をかけられない」「買って死んだらどうしよう」が常套句。

それでも「かわいそうだから」と食い下がる。

その人たちの頭の中には
かわいそうかわいそうかわいそうかわいそうかわいそうかわいそうかわいそうかわいそうかわいそうかわいそうかわいそうじぶんがかわいそうかわいそうかわいそうかわいそうかわいそうかわいそうかわいそうかわいそうかわいそうかわいそうなひなをそだてられないじぶんがかわいそうかわいそうかわいそうかわいそう

しかない。

お金も無いけど理性も無い。それでいて欲が深く、自我を制止できない。
また、数少ない(他人の)成功例や過去の美化されきった、たった一回の偶然という経験を後生大事にし、自分の思うトコロに任せないコトを拒否する。

時には小学生時代の偶然を昨日のことのように語る。
脳内の落書きをひけらかすな、そんなもの観たくもないんだよ。


自分より「か弱~い存在を」見つけた喜びと、何もしてあげられない自分への自己憐憫。



自分より弱い存在というのは、ひとつの「試し」であるかもしれない。
守ってあげたい気持ちを押さえて自然にすべてをお任せするのも、
大金をはたいて、上手くいくかどうかわからないコトに挑戦してみるのも、
それもまた選択。

ヒナを守りたい、手元に置きたい、大きくして手乗りにしたい、でも大金はかけたくない、手間もかけたくない、あれもこれもそれもどれも満たしたい・・・そういう欲望に駆られてしまう者こそが、貧乏人の卑しんぼである。




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2019/02/03 節分祭とお参り

本日は、「節分」にして土用明け。氏神さまで「節分祭り」を御祈祷してきました。
氏神様は有名な大きな神社ではないので、じっくりと大神様の御前で神恩祈祷していただける有難さを噛みしめて参りました。


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生田神社「節分祭り」の豆撒き
こういうのは苦手だ・・・



12月冬至、1月新暦の元旦を経て、2月3日の節分。
「節」を「分ける」という意味でも2019年の本格的な幕開け。4日が立春で、5日が旧暦の元旦。
文字通りの内憂外患。インフルなど疾病の猛威。いつ来るやもしれない天災。
そして何か犠牲が出てからでないと何も変わらない日本人。

5月には新元号。節目、変わり目、潮目etc・・・。20年先にはどうなっているのか?
そういう意味でも今年の節分の意義は大きいかと思います。


大阪・船場の旦那衆の色町遊び@恵方巻がちょっと沈静化したのは幸いでした。「伝統行事」を騙って庶民から小銭をちょろまかすだけでなく、そのために大量の食物を廃棄する前提というシステムには心が痛みます。


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関西では「男の厄除け」で有名な「石清水八幡宮」



さて、各所で節分が行われていますね。

前厄・本厄・後厄を無事に過ごすことが出来た御礼参りである「解厄奉賽(かいやくほうさい)」。
・・・というのがあることをネットで知りましたが、ここでいきなり「カイヤクホウサイ」をお願いします!などと、ネットで聞きかじった知識を丸投げ&ドヤ顔するのはクソがつくド素人のやり方ではないかと私は思います。
神社や宮司さんによってやり方・考え方が違いますので、ここは見極めながら慎重に行きたいところ。

神社仏閣には、順序というか作法というか、その時の運というか、そういう目に見えないモノがあるので、それらを踏まえていけばわりと気持ちよく参拝できるかと思います。
ただ、やはり「昇殿参拝(≒正式参拝)」が第一義であることを理解できれば「御朱印だけ欲しい」の対応が「塩」なのも自ずと理解できるかと。



もっとも、私の場合は願意が何であれ、心中は「まず神恩感謝」であることに変わりはないのです。なので、そういう意味では「絶対にコレでなきゃダメ」という我や執着は持たないようにしております。ただ、機会やきっかけがあれば、いつもと違う祝詞や作法を目の当たりにできるかな~という欲目もありますのでチャレンジはしてみます。

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関東は「成田山川越別院」の護摩札。
神社よりもちょっと豪華かも。


氏神さまの神職さんは「どの祝詞でも、だいたい感謝とか何とか、わりと何でも含まれてます」
「本来的には、たとえば”交通”安全守りといった方向性を定めたモノは無いんですけどね」
とおっしゃってましたので。


なので、昨年くらいから「厄明けの御礼参拝がしたい」という前振りをして、「厄除けの御礼参りの・・・」「解厄なんとかというのが・・・」「奉賽って言うのでしたっけ?」
みたいなニュアンスでで予約時に相談してみました。


なんだかんだ言っても、「仲執持(なかとりもち)」である神職さんに(やりやすいように)お任せすることが大事であると心得ております。先述しましたが、私も体裁上は「祈願・祈祷」であるものの、心中は神恩感謝のみなので、そういう意味では何でも良いのです。

神職さんもある程度考えていてくださったようで、直前になりましたが「今日は旧暦の晦日で云々・・・なので、大祓も奏上しましょうか?」とおっしゃってくれました。

そういう訳で「厄明けの御礼参り」の旨を伝えて最終的には神職さんにお任せしましたが、大神様の御前にて御礼祈祷と大祓奏上という実に手厚い御祈祷となり、言葉に尽くせぬ感激・感謝でした。
何というか、ちょっと言葉が出なかったですね。
ちと雑談が過ぎて、次の参拝客を待たせてしまった(気づかなかった)のは不覚でした。


「当たり前は当たり前ではない」という思いを再び心掛けて、これからの生きていきたいと思います。

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祈祷申し込み書。
読みやす~い丁寧な字で書くことが大事。
そうでないと神職さんが読み間違ったり、祈祷停止するハプニングが生じる可能性がある。



「厄除け」というのは、人生におけるひとつの機会ですね。
ひとつの節目として、人生儀礼として、目に見える形にしてくれるのです。そこそこ生きてきて忘れてしまっているちょっとした緊張感を味わえて、初心を思い出させてくれる良き場でもあります。

「厄」は「役」でもあり、自分はどれほど人の役に立ったか、これからも立てるのかを自らに問いなおす時でもあります。問い直すという意味では、健康診断(人間ドック等)などにも最適な年と言えるでしょう。

日本人であればスルーするのは勿体ないと思います。



******************

日本には、人生の節目を「厄年」として身を慎む慣わしがあります。

また、厄年を迎えることは同時に、地域社会で一定の役割を果たすことを期待されることでもあり、神事にも関わることが多くなります。

このため、心身を清め身を慎む必要があったことから、厄年の「厄」は神事の「役」であるとのいわれるのです。

厄年は成人式や年祝いとともに大切な通過儀礼tいえます。厄年を迎えたら、神社で厄祓(やくはらえ)の祈願を受けて、清らかな心と体で、より充実した生活にいたしましょう。

-冊子「明治神宮発行、明治神宮を知る」より引用-

*******************





忘れてました。

〇今月の奉納酒

●氏神様へ
・セトイチ 手の鳴る方へ 生もと純米吟醸原酒  瀬戸酒造店@神奈川
・セトイチ 月が綺麗ですね 純米吟醸     同上


ネーミングからチョイス。
味だけではなく、こういった洒脱な感じも含めて大神様へ奉納つかまつるワケですよ。
(多くの場合は熨斗紙で見えない)

久々に「2本縛り」で奉納。別々の酒でも良いそうで、即、お願いしました。
店主によると「6本しばり」もあることはあるそうで、私は「いつかお願いします」と言っておきました。
一升瓶×6だと10キロをはるかに超えるのでエライことになる)

●自宅神棚
・ふふふ。吟醸酒   盛岡酒造@香川県小豆島

これも雰囲気からチョイス。ちょっと春めいた感じが〇。


・ヱビスビール 中瓶
一般市販のビールらしいビールならやはり安定のこれ。あるいはプレミアム。


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逆に考えるんだ、これは警鐘だと


2019.1.27 11:00

ウーマン村本「韓国を批判的に語る日本人はクソだし韓国を批判的に語る日本人はクソだ」⇒「炎上ネタ飽きた」「意味わからない」など批判殺到


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もはや炎上芸ですらない。
大きな声で騒ぎ、周りに同意を求め、論点をずらす。
完全にフジでやっていた「朝鮮論法」と同じ・・・。


自分の故郷に帰ってそこで芸人をやれば良い。
マネージャーも吉本も止めればいいのに。



・・・ただ、ウーマン村本の言っていることはある意味において間違いではないし、現実はもっと悪化し始めていると思う。

「韓国を批判的に語る日本人はクソだし韓国を批判的に語る日本人はクソだ」という認識で、あらゆる(あの国に関わる)言論が封殺されてきている。今に始まったことではないが、ここしばらくで急速に強まってきている。最悪、「脅されたりしても何も抵抗するな」とも思える。
フジでやっていた「朝鮮論法」の紹介に対する反応こそがまさに「朝鮮論法」に見本であったし、いつも以上に封殺しようとしてきたが、今回は珍しく「対外的な参考資料としては間違っていない」という反論をフジがやった。ごく軽くではあるけれど。

そう考えるとウーマン村本の、バカで間抜けなお花畑の日本人に対する「警鐘」なのかもしれない。

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これも逆に考えると、この世代が死ぬ前に日本人の平和ボケを直していかないといけない、という事かもしれない。
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2019年 初詣  ”礼手”が出来なかった~

もう「十日戎」ですね。
なんかもう「THE・おおさか」って感じなので、好きではありません。

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今宮戎公式ホームページより


毎年のことながら年末年始は仕事なので、正月感がありません。
正月感はありませんが、いざ神社やお寺に行ってみると一気に正月感であふれています。新暦で、一般社会的な意味での新年・・・という具合に解釈はしていましたが、やはり多くの人の想いというか通念というか、なかなかバカに出来ないものです。まさに「正月」という雰囲気を醸し出しておりますね。

まず「新暦の新年(笑)」一発目は氏神さまの神社で新春祈祷(神恩感謝)を奉納してまいりました。
さすがに正月期間は拝殿内も五色の幕で彩られ、見た目も麗しくなっておりました。4日とはいえ、(郷社レベルで)意外に参拝客もそこそこ多く、神社やお寺にお参りするという習慣はまだまだ衰えていないことを感じます。


ふと思った事があります。
今、こうして神恩感謝を奉納している神社は「地」に建っており、その「地」は「日本」であり、さらには「地球」の上であること。拝殿の奥だけではなく、平伏している「地」の方にも意識をやると、何となく「大地」というものを感じました。

ごくごく”当たり前”である「地に立って、歩いている」ことが何とも言えない有難みを持つというか・・・。


今日の祝詞にあった「かんながらのまことのみち」を心掛けていきたいと思います。

正月期間なので御神酒がありました。今こそ「礼手」をするべし・・・と意気込んでみたものの、タイミングを逸してしまいました。礼手は「頂く前に軽くポンと拍手する」のですが、神職さんにカワラケを渡されて注がれて呑んで・・・・・・完全に機会を見失ってしまいましたね。


少し雑談した後、口頭で節分の祈祷を予約して氏神様を後にしました。



お次はお寺。
普段は御供えしませんが、初詣の時だけお供えしています。
のしには「御尊前」と書いてそっと端っこにお供えしておきました。
また、ここでは毎年「交通安全お守り」を更新しています。
今日は珍しく授与所にご住職さまがおられました。かなりお年を召しておられますが、まだお元気そうで。
なかなかお話を伺う機会もなく、お守りを受けた後「本堂にお酒を備えさせてもらいますね」くらいが関の山。それでもあまり無い機会なので良かったです。

帰宅して休憩してから住吉大社へ。
この日は「踏歌神事」があったので、それが終わってから行くことにしました。
「白拍子舞」や「餅まき」が有名です。餅まきの争奪戦は熾烈を極めるそうで。


その神事も終わっている時間だし正月も4日目だし大丈夫だろうと思いきや、けっこうな混雑。初詣参拝客の上位ランクに位置づけする神社とはここまでのものか、と。4日目でコレですから、もう元旦や2日目の混雑ぶりって想像がつきません。

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住吉大社の初詣(画像は借り物です)


おみくじの授与所もズララララララと人が並んでおります。

良い事が書かれてあっても悪いことが書かれてあっても、結局「同じこと」なので、(個人的に)おみくじはあんまり意味が無いと思っております。
(場合によっては業者の作成したパターンであるともいえる・・・)

「神仏頼み」はしません。何のために神恩感謝の祈祷を奉納しているか分からなくなってしまいますので。
よって、おみくじを引くことはありませんが、居並ぶ人たちを眺めながら、これもまた「依存心の発露」と自分を戒めるばかりです。


いつも通り本殿4つと、伊勢遥拝所、盾社と矛社(鹿島さんと香取さんの分祀らしいので)を参拝して退出。
南海の住吉大社駅は混雑しているので、近隣の別の駅から帰りました。道を間違えて結局、高野線の「帝塚山」から乗りました。静かな静かな空の下、テクテクと考えたり考えなかったりしながら歩くことが出来るのもまた良いものです。


来月は節分と立春。
毎年のことですが、ある意味、本番の「新年」。


〇今月の奉納酒

〇氏神さまへ
・福知三萬二千石 2019元旦しぼり 特別純米 1800ml 東和酒造@京都福知山
新年になった瞬間から搾り始め、その日のうちに瓶詰め・出荷される「元旦しぼり」の縁起酒。
・・・ということでチョイス。

〇自宅神棚
・同上 720ml
同じものを飲みたくなったのでチョイス。

・十八盛 300ml 十八盛酒造@岡山
小さいサイズがあったので値段的にリーズナブル。


〇お寺へ
玉旭 五臓六腑に染み渡る純米酒 玉旭酒造@富山
この男前なラベルを備える人はそうおるまい・・・(笑)。






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天皇誕生日 年末詣で

ぶろぐ たいよういちずposition_of_sun.png


22日の冬至は陰の極まる日。同時に陽の始まりでもあります。
その翌日23日はまさに元旦。
第125代今上天皇陛下はまさに「太陽の申し子」でもあります。

陛下は昭和にお生まれになれ、平成の世を背負われて歩まれました。
譲位後は皇后陛下と共に心安らかにお過ごしいただけることを願います。


2018年12月23日はひとつの時代の終わりと始まりでしょう。
この良き日に参拝できたことはこの上ない喜びです。



午前中、自転車で駆け付けると氏神様の境内でも年末の準備が進んでおりました。
すでに拝殿で待機されていた神職さんに挨拶をし、昇殿します。
お召の装束が少し新しい感じがするのですが・・・気のせい?


玉串料と奉納酒をお渡しして、しばし待ちます。
拝殿から外を眺めていると近くの木に留まったヒヨドリがちらりと視界に飛び込んできました。日本や東アジアではありふれた鳥ですが、世界的には珍しい鳥。タヌキ(こちらは日本固有種)みたいなものですね。

いつものように神恩祈祷が始まりました。今日はちょっと祝詞の内容が違うような気がします。「年末の」神恩感謝なので、それに合わせて変えてくれたかもしれません。
祈祷が終わると神職さんが時事や心がけ、そういったものをお話くださるのですが、それに私なりに(感想や日々の雑感、感謝など)答えるのが定例と化してきました(笑)。


「(おついたちや神恩感謝等で)こうした機会を得ることで、時代や人生の節目というものを実感することができてきたように思います。振り返ることもなく、また先ばかりを見ることも無く今を着実に歩んでいけることはとても有難く感じています。」

実際、個人の定例行事としての「参拝」はそう悪いものではありません。
(願掛けは一切しませんが)
「生きる時間」というものを多少なりとも実感できてきたのではないかと思います。
ここに来て、このように参拝できることがひとつのしあわせでありましょうか。


ぶろぐ こしょう17_01_25_01.jpg
胡床が並んでいる光景も珍しくありません。


大きな神社の拝殿などでよくある胡床(こしょう)の話から立礼・座礼の話になって、
「履物を脱いで昇殿すれば、あとはすべて”座礼”です」
という神職さんの言葉には少々驚きました。殿上の作法、ということですね。
立って移動したり、玉串奉奠やったりするのに?
これらは進行上の都合、また便宜上ということで「立って」やっているだけのようです。

昇殿作法の認識が変わってきますね。心構えとしてはとても参考になる教えでした。



ちなみに神職さんは今月あと一回休んだら、1月半ばまで無休だそうです。
お役目、ご苦労様でございます。
1月の初詣参拝の予約、そして2月の厄除け祈願・御礼参りの軽い打ち合わせをして帰りました。


こうして12月は冬至や天皇誕生日、2月は節分や立春。このパターンに慣れてくると一般的な新暦1月の初詣はそこまで重要視しなくてもいいんじゃないかな?という思いも出てきました。


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初詣にかけるエネルギーが半端ではない。
気力・体力の限りを尽くして元旦に参拝する人たち。



その足でお寺に向かって、こちらでも年末参拝。
次にイオンで自宅神棚用のお酒とお菓子を購入。奉納酒に張り込み過ぎて、予算の関係上こちらで間に合わせます。イオンとはいってもそうそう下手なお酒を置いてないので、こだわらなければ問題ありません。
(もちろん大手酒造メーカーは外す)


帰宅して荷物を置き、軽く食べてから電車で住吉大社へ行きました。さすがに初詣の参拝客数がトップクラスの住吉大社。年始の準備に余念がありません。大変だと思います。
こちらでは予約もしてない、予算も無い(笑)ってことで略式参拝です。

「初辰さん」で有名な楠珺社(なんくんしゃ)で祈祷の真っ最中だったのでしばし見学。
さっそく「胡床」が使用されてましたが、祝詞の最中に頭を下げていても、胡床だと体勢の関係で背中が丸まって「うなだれている」感じがしてあまりキレイじゃないな、と。
※今時は特に神職さんから指示されることも無いと思いますので、問題ありません。

胡床を用いる立礼の場合には、馨折(けいせつ=立ち上がって腰を折り頭を下げる作法)という礼を行うそうですが、一般の祈祷でそこまでやらせるところはあまり無いとのこと。

他の人が座っているのに自分だけ立ってそうするのもちょっとアレなので、「そこは周りと流れに合わせて」ですね。氏神さんところの神職さんがよく云う言葉です。




〇今回の奉納酒
「純米大吟醸 三世(さんぜ)」 白龍蔵元・吉田酒造@福井


先月、酒屋で迷った末に見送りましたが、23日の天皇陛下の誕生日会見を見てしまった後は思い切って奉納することにしました。



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今月のおついたち 2018年12月


ぶろぐ ちょうずthumb5.jpg

バカ陽気な12月初旬。
こういう時は反動が怖いんですよね。

遅れながらのおついたち参り。
神恩奉納の昇殿参拝は無しの略式です。

神職さんの御厚意に甘えさせていただき、昇殿させて参拝することができました。
参拝後は有り難くも作法の簡単なレクチャーも受けることが出来、何たる僥倖です。

やはり難しい。
カタチだけでなくようやく動きにまで言及していただきましたが、
揃えたら、動くのではない。
揃えつつ、動く。

「揃える→次の動作」の間が0.5秒もない。
が、確実に一瞬の間がある。

A→B→C→

ひとつ終わってからまたひとつ始めるのではなく、

A→
 B→
  C→

こういう感じですか。


上手くは書けませんが、太極拳にも似た動き。
極みと澱みがない、連綿と続く動作ですね。




年末の御挨拶の神恩祈祷の予約をしましたが、迷った結果、
「天皇誕生日」である23日に決定しました。「冬至」は来年もありますからね。
平成最後のこの日。ひとつの大きな節目でありましょう。


新暦1月の初詣はあまり重要視していないので適当に、3、4日くらいの予定です。







今月の奉納酒
今月はちょっと予算オーバー。
前から気になっていたんですが、酒屋さんの神札がきちんと神棚に入れられていたのは好印象。
個人的所感ながら良い事だと思います。


〇氏神さま
「白龍 純米大吟醸 吉峯」  吉田酒造@福井
その名前は、約1300年前、泰澄大師の開いた吉峰寺に由来するそうです。
泰澄大師といえば白山ですし、これはなかなかのめぐりあわせですね。

〇自宅神棚
「利休蔵 純米酒」 堺泉酒造@大阪

へ~、堺だって・・・。
堺は古来より超・閉鎖都市のイメージが強いんであまり好きではないのですが、こういった途切れた酒蔵の復古であるとか挑戦とか、そういうのは好きなので試しで購入してみました。


「十ロ万(とろまん)」 花泉酒造@福島
どれを飲んでも良い意味で同じなのがロ万(ろまん)・・・とまでは言いませんが、好きですね。


「めごねっか もち米焼酎」 奥会津蒸留所@福島
前から気になっていた焼酎。
「これ、美味しいんですか?」と素人くさい聞き方にも関わらず熱い説明をしてくれた店主を信じて購入。
たしかに麦や芋はたくさんあるけれど、米焼酎はあまり見ない。売り場スペースが小さいのだ。



ぶろぐ しょうちゅうShochu-rakugaki.jpg

鹿児島県 郡山八幡神社 1559年の補修工事に際して大工が残した落書き
「けちな座主で、一度も焼酎をふるまってくれなかった」とのこと。



ヘンテコな焼酎ブームとブランド化もありましたしね。
主流に対するアンチテーゼは、私に対する抜群の「殺し文句」です(笑)。


米の味わい方、利用法のひとつとしての「試み」ってコトですが、こういうのは好きですねぇ。



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