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明治神宮と靖国神社、麻賀多神社参拝 その2


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(画像は借り物です。)
日によっては半分以上が外人というオソロシサ・・・。


(7月末の話です。前回の続き)

(8月に入ってから妙に忙しくて、書く気力がありませんでした)
(おついたち参りはきっちりと)

靖国神社を後にして、明治神宮に向かいます。

南参道鳥居(第一鳥居)に到着すると、そこだけでもうウジャウジャ人が居ます。
それも日本人は少なく、8割以上が外国人。まぁ・・・・・春日大社、東大寺といった奈良、要するに「関西」よりはまだマシかな。外国人のお行儀が。なんとなく。

しかし、これが皆の臨んだグローバルなのか?
外国人共が日本で好き勝手することが?

私はドナルド・キーンのような、東日本大震災後に日本に帰化申請するくらいの気概のない外国人は、ぜんぜん信用していません。あれもこれも失ってからでは遅い・・・・・と言いたいと事ですが、日本人は何か痛手を、それもかなり大きな痛手を被らないと理解できない世界屈指の愚民でもありますから、仕方ないです。

カタコトが「純朴な外国人」を想起させるんでしょうかね?



気を取り直して明治神宮の本殿まで向かいます。人混みの中、たった一人、スーツでテクテク歩いています。
たしかに広い。伊勢神宮にも匹敵するかもしれませんね。それにしても大都会・東京にこんな森があるとは、関西人の私には信じられません。第二鳥居をくぐるところまできても、「インスタ映え」狙いは減りません。どこも撮影ばかり。

ここが初詣参拝客300万人を擁する明治神宮ですか・・・!
という感慨もありつつ、外拝殿にて略式参拝。
撮影をしようとする外国人を止めるのに警備員さんも大変ですね。

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以前の令和元年5月の6時間超待つ行列。
私はこの道を通っているという感慨があったりなかったり。



東神門の脇にある休憩所で上着を脱いでちょっと小休止し、これからの行動予定を考えていました。しばらくして近くに外国人が座ったと思いきや、ドヤドヤと仲間が集まって占拠状態。私もたまらず逃げ出しました。
周りに配慮するというのは外国人にはあまり無い考えですから仕方ありません。
(白人系でしたけどね)


ここのおみくじは「大御心(おおみごころ)」といい、内容が明治天皇・皇后両陛下の詠まれた歌なのです。単純に吉凶を占うものではなく、またその内容に一喜一憂するものではありません。おみくじであっておみくじでなし。普通はおみくじを引きませんが明治神宮のモノだけは引いてみたかったんですよ。

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神楽殿。現代的と言えば現代的。


引こうかと思った矢先に目に入ってきたのが神楽殿。
随分と綺麗な建物で、こちらで祈祷や御朱印を受け付けているとのこと。
少し迷いましたが、せっかくスーツで来ているし、知人も少し遅れるとのことでしたし、思い切って神恩の祈祷をお願いすることにしました。

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願意一覧。気になるのは「昇殿参拝」。聞いておけばよかったです。


神楽殿ではスーツを着たお二人の案内の人が居まして、御朱印でもない祈祷でもない、フラフラと入って来る「迷子」(笑)を追い返すのに忙しそうでした。
申込用紙に「神恩感謝」と記入し、受付に提出します(明治神宮では神恩報賽と区分)。少し上がったところの、大変綺麗な待ち合いで腰かけてしばし待機。その間に数人が来ましたが、またもやスーツは私だけ。


神前における気遣いとはいったい・・・・・とこちらの気持ちが揺らいでくる。


そのうち呼び出しがあり、脇の扉から中の願主席(祈祷殿)に入室します。
ちょっとした緊張もあり、160畳の広さもあまり目に入りません。ガイドに従って、式が進んでいきます。
明治神宮では願主に配られる「祈願御幣」を用いて我々も祈りを捧げます。
生演奏の神楽舞もあるので、とても有難いことです。

たまたまなのか、そういう流れなのか、修祓や鈴などを受ける時「ご低頭ください」ではなく「お受けください」と神職さんが言うのですが、いつものクセで私だけが頭を下げてしまっていたコトも。

式が終われば撤下品と直会(御神酒)を頂いて終了。別に何と云う事はありません。
絶対に神恩祈祷(昇殿参拝)をしなければならないということもありませんので、略式参拝で満足できなかった欲目かもしれません。それでも(どういう形であれ)昇殿させてもらえると参拝した感じがありますね。

※明治神宮では本殿に参拝できる「正式参拝」は正月などの期間限定か、あるいは崇敬会の会員のみのようです。「願意」にある昇殿参拝とはどういう形式なのか、聞けばよかったです。予想では、神楽殿で玉串奉奠がある参拝ではないかと思われます。昇殿参拝の玉串料は¥10000と予想しています。



御朱印を頂こうかなと思いましたが、スーツ着用で祈祷に来ているのに御朱印をもらいに行くというのもちょっとミーハー感がでて「ヤだな」と思ってしまったので、スルー。


あとはお楽しみのおみくじ「大御心」です。
結果は「沈黙」でした。

すぎたるは 及ばざりけりかりそめの 言葉もあだに ちらさざらなむ

                                        昭憲皇后御歌

とうぜん「言葉遣いに気を付ける」「沈黙は金 雄弁は銀」でしょうが、自分の心境に照らし合わせて考えると、周りにはもちろんですが、己に対しても、「沈黙」し「静観」するということなのでしょうか。
心の声もあります。また、実際の言葉だけではなく、思い悩み、心配事、不安、不満etc・・・そういった自我の声を出さず、心の沈黙を守る必要があるのかもしれません。

慌てず騒がず、時間の流れ(に対して我が心をざわつかせず)を観る努力という受け取り方も出来ます。

昭憲皇后陛下のイメージと違って、ちょっと厳しいという印象をうける御歌ですね。だからこそとても有難いと思っています。



参拝後は知人と合流し、私の希望で「東京大神宮」へ向かいました。
ここはもう「観光」です。うわさの縁結び特化型。スピリチュアルなパワースポットを垣間見ようという魂胆です。悪い言い方をすれば「スピ系の巣窟」とも聞き及んでおりますので、どうしても野次馬根性が出てきますね。

着いてみれば画像からの印象とは違って、随分とこじんまりしたところでした。伊勢神宮の分祀と聞いていたのでもう少し大きいのだと思ってました。規模のわりに人の密度はとても高い。けっこうガチめな人が来てますね。女性がとても多いです。もちろんスーツはまたしても私ひとり。


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スーツ姿でこれを引きに行くという果てしない苦行・・・はしておりません。



ここではとうとう周囲の視線や雰囲気に屈しまして、”行列参拝”してしまいました。

※行列参拝
きちんと拝殿前に並んで順番をまってから参拝する謎の習慣。
賽銭箱の前、つまり真正面だとお願い事を聞き届けてもらえるという欲目の顕れではないかと。


賑やかでこじんまりとしていて明るくて、けっこういいところだと思います。さすが明治天皇の命で創建された伊勢神宮の分祀です。
(ということは、「個人的な願意」はどうなの?となるのですが・・・?)
賽銭箱前の略式参拝は時期によっては大行列も珍しくないようですが、そんな時でも祈祷だと割と早く済むみたいです。祈祷を受ければいいのに。



その後は花園神社に行ったり、新宿伊勢丹でお土産を買ったり、あちこちをウロウロして知人との久しぶりの時間を過ごしました。

それにしても新宿伊勢丹は別世界でしたねぇ・・・・・。



遅くにホテルに戻って、明日は千葉県成田市の麻賀多神社です。

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明治神宮と靖国神社、麻賀多神社参拝 その1


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明治神宮は広かった・・・。



7月度の「おついたち参り」を書くのを先延ばしにしていたらこの有様。

月次祭からの神恩感謝奉納祈祷でしたが、終わってから神職さんよりお知らせがありました。

正宮司になったこと。
今までは他の大きな神社と掛け持ちでしたが、こちらの正式な宮司になったこと。

毎月1日早朝の「献湯神事」を宮司として取り仕切り、月次祭も続けて執り行いたいとのこと。
(なので、今までの月次祭参列→神恩祈祷は続けて出来なくなるのは申し訳ない、と。)

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献湯祭(献湯神事)。
神社によっていろいろ。氏神さまのところは毎月やっている。


御目出度い事なので、言葉足らずではありましたが心よりお祝い申し上げました。
宮司になって、より多くの人に氏神さまに参列してもらいたいというお気持ちを感じました。


さて、月末。
靖国神社と明治神宮。そして噂の麻賀多神社(千葉県成田市)参拝を計画。知人と会う約束もし、何年かぶりに上京しました。


靖国神社の何がスゴイか。
昇殿参拝が「お気持ち二千円」から出来てしまう有難さ。
英霊を顕彰するために、多くの人に参拝してもらいたいというコトでしょうかね。

靖国神社は明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた「招魂社」がはじまりです。
明治天皇の、
「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」
という御製(ぎょせい:お詠みになられた歌)からも分かるように、国のために散っていった御霊を慰め、その事績を後世に伝えること」が目的です。


「死人に鞭打つ」習俗の強い大陸や半島には理解しがたい事だとは思います。
天皇陛下や総理大臣が参拝できない理由は多々あるのでしょう。だからこそ我々一般庶民が率先して参拝し、祖霊を顕彰する必要があると感じています。



ただ。

これは神職さんも苦笑いしてましたが、靖国神社のイメージ・・・「護国神社」系のイメージがなぁ・・・ちょっと行きにくいですよね。ビラ配り、黒い服、いかついクルマ・・・何だかなぁ、と。


「ぷらっとこだま」で4時間と30分かけて靖国神社に到着。
思ったより普通でした。

というより、広い境内にスーツが私ひとり。しかもフォーマル。

「あっれぇぇ・・・?」


昇殿参拝に至っては、他の人たちが平服どころか「普段着」。
(若い人たちだったんで仕方ないです)

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「あっれれぇええええぇぇえええ???!」(冷汗)

私ひとりだけがガチガチのガチ勢。

参集殿で受付を済ませて、胸に参拝証明のシールを張り付けて奥の待合で待ちます。
特に戦没者・祖先の名前を書かなくても良いようで、その場合は広く神恩感謝になるみたいですね。


ちょっと調べましたが、午後2時ごろには何か神事があるのでそこそこ待つことがある。
団体にかち合ったら待たねばならない。
そんな感じだったので明治神宮に先駆けて午前中に参拝しました。


鏡を見ながらネクタイを直しているとすぐさまお呼びがかかりました。同席するのはさきほどのそこそこ若い集団。

あとは他の神社でも大して変わらない順序で進行します。手水で身を清めた後、神職の後ろに続いて回廊をしずしず歩く。修祓(お祓い)を受け、その後階段を上って昇殿。

祭壇には木彫りの枠にはまった大鏡があります。湊川神社、大阪護国神社と並ぶ、戦前の研磨技術による大鏡だそうです。
その上に明治天皇の御製の額が掲げられています。

“ 我國の 為をつくせる 人々の 名もむさし野に とむる玉かき ”



おおよその手順は同じ。しかし、最後に「黙とう」があったのが印象的でした。
本殿から下がって回廊で盃にはいったお神酒(直会)を本殿に向かって飲み干し、待合室で「撤下品」を受け取ります。参集殿を出て終了。

後から思い出したのですが、たしか本殿に移動する途中に「鎮霊社」というのがあったようなのですが、すっかり失念していました。国内外問わず、戦争や事変で亡くなった人々を慰霊する社だそうです。

当たり前ですが、やはり昇殿参拝は緊張します。もちろん良い意味での緊張で、厳かさや畏れ多さ、自省、感謝・・・そういった様々な思いや雰囲気の中で過ごすひと時は最高の「祓い」かもしれません。
もちろん「個人の願意」がないことがお約束ですが。



靖国神社は、一般的な土地神や精霊を祀る神社ではなく、それでいて天満宮や東照宮とは異なる新しいタイプの「人を祀る神社」であり、「湊川神社」と兄弟的存在と言われています。Wikiからですが、なかなか面白いですね。

さて、撤下品の中には遊就館の割引券がありますが、ここはまともに観ていると90分は軽くかかるので、泣く泣く省略。御朱印もちょっと並んでいるし、ましてスーツで行くのもなぁ・・・・ということでこちらも省略。昇殿参拝しただけで十分です。

少しばかり境内を散策して、明治神宮に向かいます。




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はた迷惑な趣味 ”登山”

スリルがあるものほど、面白い。



母亡くした悔しさ消えず「安全対策徹底を」トムラウシ山遭難、16日で10年

2009年7月に北海道・大雪山系トムラウシ山(2141メートル)でツアー客ら8人が死亡した遭難事故から16日で10年。夏山遭難では最悪規模とされる事故で母の竹内多美子さん(当時69歳)を亡くした愛知県日進市の会社員、鈴木美紀さん(50)は時を重ねても消えない悔しさに、「ツアー会社は利益だけを追求せず、安全対策の徹底を忘れないでほしい」と訴える。

https://mainichi.jp/articles/20190714/k00/00m/040/168000c


遺族の気持ちを無視しているかもしれませんが、この場合、「悔しい」と云うのはお門違いと思います。
とにもかくにも「他の責任にしたい」。そういう気持ちが溢れています。
山が悪い、ツアー会社が悪い・・・。気持ちは分からないでもないですが、山だけは、さらに言うなら「自然」相手はどうしようもないです。
それも自然災害に巻き込まれたとかではなくて、あくまでも趣味で山に入ったのですから。
ツアー会社を介そうが、単独で入ろうが、山に入るという事は「死」が隣にあるのです。
命にかかわる場所なのです。
電話1つで助かるかもしれないという甘えが性根を腐らせ、目を曇らせます。
まして、頭も固くてわがままになってきている高齢者には無理な趣味だと思いますけどね。


でも、山に登った「本人」はそれを自覚できても残された遺族にはそれを自覚できることは難しいと思います。
そういう意味でも登山は「はた迷惑な趣味」です。



山に登る。
大自然を踏み荒らさねば感じられない「神の雰囲気」・・・というのも愚行極まりない。
趣味で登山が出来る当たり前の幸せに気付けたのだろうか。




大神神社の「三輪山登拝」も正直なところ、禁止した方がイイと思うんですけどね。
受付の対応が悪いとか不愛想とか言われますが、遊びじゃないんですよ、あそこは。
それほどの真剣さがないと登るべきではないです。
あとは覚悟ですね。最悪死ぬかもしれないし、何か怒りを買って災禍が起こるか・・・。

パワースポットでも何でもないです。

私も昔は登っていましたが、もう登らなくなりました。
畏れ多くて・・・。


白山も富士山もそうです。
敬意を持って登山しているのでしょうか。

白山は、畏れ多くもいずれ登拝したいと希望していますが、その時はどうなることやら・・・です。

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「からくりサーカス」 女性性の戯画化であるディアマンティーナ

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アニメ「からくりサーカス」が終わって2週間ほど経ちました。

意見は様々でしたが、私は「上出来」としておきます。「名場面の切り取り」だけでしかなかったかもしれませんが、それだけでも十分に見る価値はあると思います。

モンサンミッシェルにおける「ナイアと勝」のやり取りは最高でした。
「O」とその本体たちの作画レベルが(悪い意味で)ヤバかったですが、ナイアの声優さんの奮闘で『死の恐怖から逃げた果ての人間』の惨めさを表現できたと思います。

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「コロンビーヌの最期」の出来はもちろんです。
感動的なシーンではありながら、人形とはいえ、少女の生首を抱いて泣いているという、ある意味において不気味さもある場面。藤田テイストを遺憾なく発揮できました。

「パンタローネとハーレクイン」も満足でした。

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さて、あまり取り沙汰されることのないディアマンティーナ。
特に最終話においては傑出した「異常な出来の作画レベル」でした。

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もともと(ネットの拾い読みですが)ディアマンティーナは作画の平均レベルが安定し、作画崩壊していない数少ないキャラと言われています。もっとも、登場回数も時間も少なめですからそれは当然かもしれません。

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最終話。
フェイスレスが持ち出した「パーフェクト・あるるかん(仮称)」の作画がもうトホホなレベルだったんですが、この時にすでに予感しておりました(苦笑)。


「・・・思い切って”ディアマンティーナ”に全振りしたに違いない・・・」

そしてディアマンティーナが登場。
最終局面においてフェイスレスにとっての「最大にして最高の皮肉」となる場面では、作画が恐ろしいほどに高まっていき、フヂタのテイストを生かした、アニメならではの作画演出でディアマンティーナを描き切ったと思います。
作画がクライマックスにむけてドンドンドンドン密度を増していく様は観ていて鳥肌モノでした。

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人形とはいえ、愛に狂った、キ〇ガイじみた貌。
フェイスレスに解体され、パーツが崩れていくグロテスクなシーン、
これ以上ないほど、です。
作画班の奮闘ぶりは本当に素晴らしいの一言です。

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『・・・私のこと、愛してる?』

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『でもね、本当はこう言って欲しいのよ。エレオノールよりも愛してるって!』 『いやいや、それよりエレオノールの元となったフランシーヌよりも愛してるって、言ってぇ??」

この作画レベルで顔が動くのですから、ものすごいインパクトがあります。



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表情を変えずに見つめているフェイスレス。
密度の濃いディアマンティーナの作画とは対照的に空虚な感じの作画が、「最大の皮肉」を味わっているフェイスレスの心境をよく表している。


「・・・さすがは僕が作ったオートマータだな。でもね。僕が別の人を愛する自由だってあるんだよッ!!」

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『フェイスレス様ぁ!! 酷い、こんなに、愛してるのに・・・!!』
『愛シテ、クレナイ、ナンテ・・・・・・』

分解されながらもナイフを拾い、フェイスレスに突き立てます。

愛が手に入らないと分かると、その相手を殺そうとします。
フェイスレスがやったこととまったく同じことを再現します。

ただ、勝とのやり取りとディアマンティーナの台詞から、すべてを理解したのか、

「・・・仕方ないだろう?」

と返答するのです。


以下はディアマンティーナに対するひとつの感想ですが、上手くまとまらなかったので、流して読んでください。

フェイスレスが作った最後の人形である「最後の四人」には、それぞれフェイスレスの性質が盛り込まれています。ディアマンティーナは仮にも女性型人形であり、「最古の四人」のコロンビーヌと対になるように、とは思いますが、それだけではないと思います。


ディアマンティーナの最大の特徴のひとつに、
「”くまちゃん”を生み出して、使役する」ことがあります。
通常のくまちゃん、爆弾くまちゃん、透明な巨大くまちゃん等があります。

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それらはディアマンティーナがスカートを少し捲り上げるとボタボタと落ちてきます。
スカートをめくり上げると、そこから生まれてくる。
フェイスレスは何を思って、これ以上ない「女性」性をディアマンティーナに盛り込んだのでしょうか。


ディアマンティーナはゴスロリ調の後期型コロンビーヌと類型の子供型ボディで製造されています。
子供型ボディであるにもかかわらず、その能力はくまちゃんを生み出してそれを武器にします。

おのれの美貌のために「生き血のお風呂」に入るという冷酷さ。
嫉妬深さ。
コロンビーヌに対して「旧式のクセに」と侮りつつも、作られてからの時間の浅さにコンプレックス。

そしてフェイスレスにどうインプットされたか分からない「愛」とやらに盲目的であり・・・。

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スカートを捲り上げる仕草は女性性器を見せる暗喩であり、その中にあるモノは、言葉を借りるのならば、
『男性社会を堕落へと導く「地獄の口」、あるいは生命と豊穣を司る「天国の門」』。

女性性器は本来、生命を生み出す神聖で畏れ多い存在ということで古代から洋の東西を問わず、それらは神聖視され、それが年代を重ねると女性の性器や性欲は汚らわしいとか堕落の象徴とされるようになります。

フェイスレスは好きな女性の代替品として最高クラスの人形である「フランシーヌ人形」を作っています。だが、それは「笑わない」という理由で放棄。「ダッチワイフ」(性の対象)にすらなりえませんでした。
作品中でもフェイスレスは女性型人形をあまり作りません。

フランシーヌ人形(実在の女性がモデル・高性能)
コロンビーヌ初期型(道化として製造。後にフランシーヌ人形に意識を与えられる)
****
アプ・チャー (大人の女性型・真夜中のサーカス工房製?)
ヘア・ツイスター (同上)
****
コロンビーヌ後期型(初期型を改造・ゴスロリ)
ディアマンティーナ(久々のお手製・ゴスロリ)
フランシーヌ人形2(大人の女性型・量産タイプのおもちゃ)


コロンビーヌは大人の女性からゴスロリ人形に。そして同型のディアマンティーナを作り、それには様々な「女性性」を盛り込みました。幼女に子供を産ませるという悪趣味。

ディアマンティーナには、これ以上ないほどの女性性のカリカチュアライズ(戯画化)がなされていると思います。それも結構な悪意をもって。

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フェイスレスの名言のひとつ「Dreams come true」。
少年誌とは思えない(笑)。


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ディアマンティーナに敗れ、破壊されたコロンビーヌの手。
後にフェイスレスに分解され、同じような目に遭うディアマンティーナ。
ディアマンティーナはこんな風になってしまった手でナイフを拾い、造物主(フェイスレス)を刺すのです。





私としては、アニメ「からくりサーカス」を堪能出来て良かったです。
もっと多くの人に原作を読んでもらいたいですね。
前半はあんまりオモシロクナイですけど(笑)。


あとはコロンビーヌとディアマンティーナ、あるいは「最古の四人」と「最古の四人」を立体化待ち。
高くて買えないだろうけど(苦笑)。


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