2019年3月のおついたち参り 安全と平和は祈ってもムダ
遅れながら。
11月のおついたちから12月の冬至、1月の初詣、2月の節分、そして3月のおついたち。
3月は奇数月なので、神恩祈祷を依頼し、昇殿参拝する月である。
年末年始にかけてのこの時期は5か月連続(5回)昇殿参拝をしている。去年もおととしも同じ。
年末・年始、節分の解厄だと祝詞が若干変わるが、式の流れ自体はほぼ変わらない。
それでもなお、同じ昇殿参拝はない。
神気だの何だのというつもりはないが、天候はもちろん、雰囲気であったり、その時の気分であったり、その日に至るまでの経緯であったり、同じ参拝はない。
ただ、神職さんは毎回講話の内容を考えないといけないからけっこう大変だなと思ったりする。
参拝作法も毎回ほぼ同じで、これだけやっていれば覚えているつもりではあるが、決して間違わないということはないし、タイミングが上手くいかない時もある。何より型に執着することは避けねばならない。
「型を間違えてはいけない」事ばかり考えてしまうと肝心の大神様に奉納する感謝の心が疎かになる。
今回は始まりから終わりまで雨。
体調も100%でなければ精神的にも100%ではない。どうも心身ともに優れない。
どうにも春というのは乱れる季節である。
「木の芽時」だからこその「木の芽人」も出現しやすい・・・
禅に「無縄自縛」という言葉があるが、まさにこんな感じである。
そう、誰も悪くない。自分を縛ったり呪ったりしているのは自分に他ならない。
生きているからこそ悩めることもまた有難い、という心境にはいささか遠い。
神恩祈祷が終わり、神職さんの講話が終わる。
今回の答辞は、
「大神様のお陰を持ちまして特に大ごともなく平穏無事でございますが、平穏な時こそ慢心しやすい時。
調子のよい時は悪い時。気持ちが緩みがちな今日この頃です。」
「当たり前が当たり前ではない、このことは言葉で言うほど実感しがたく、ついつい心が緩んでしまいます。」
「大神様の前で、こうして自省できる機会があるのは有り難いことです。」
・・・的な感じでしたかね。
ただし、気を付けないといけないのは、神職さんは職業上の宗教家(厳密には宗教ではないが)なので、問題解決の専門家ではないということ。カウンセラーですらない。あくまでも神前における全般の「仲執持ち(なかとりもち)」である。このあたりをはき違えるとお互いに「重い」だけになる。
まして大神様は自分の内在を映す「鏡」であることを考えれば、こうした答辞は「独白」に近い。
問題の解決を図るというよりは自覚すること、自省することが肝要かと思われる。
このように神仏祖霊に対して、基本的に「祈り、願う」ということはない。
さらに、神さまに祈りました、御先祖様に願いました。
はい大丈夫!・・・・・・ということはあり得ない。
自覚と自省が肝要であるのと同様に、想定と心掛けだけは最低限しておきたい。
たとえば日常生活においてもどれだけ想定しているか・・・。
クルマは必ず歩行者を優先してくれる
→運転する人が必ずしも「正常」とは限らない。
こちらが見えていないかもしれない。
歩きスマホしていても相手が避けてくれる。
→相手が避けてくれることを期待することは運気の低下にもつながるだけでなく、
「当り屋」の可能性だってある。
女性は体目当ての因縁をつけられたり、強盗に遭う可能性が高くなる。
うちには盗られるものがないから泥棒なんかこない。
→入るのは「プロ」だけではない。
食い詰めた素人や外国人が手当たり次第に侵入したうちの一件にたまたまなってしまい、
最悪室内で遭遇して殺されることもある。
権利ばかりに身を委ねて、何かあったら泣きわめいて「被害者さま」になればよい。
そう考えている人が多すぎやしないか、と。
日本人同士だから、あるいは日本人相手だから通用している部分が大きいとは思う。
安全と安心はタダではなく、移民と在日のあふれる未来にはテロの可能性もゼロじゃない。
明日にもあなたの家族や知人が殺されたり、怪我をしたりすることも大げさではない。
間違いなく日本人がやられる側になる。
「当たり前は当たり前ではない」
平和な生活も、あっさり殺されない人間関係も、当たり前ではない世界に入りつつある。
〇今月の奉納酒
・氏神様へ
「菩提もと つげのひむろ 黒澱 蔵内瓶貯蔵」 倉本酒造@奈良
今の醸造法の元祖ともいえる菩提酛仕込み。奈良・正暦寺が発祥だそう。
大神神社の近くの今西酒造(三諸杉など)もこのお寺から分けてもらっていましたかな。
ただ、昔ながらの瓶の口周りの安っぽい金の包装?がイヤなんですよね。
奉納ものにはちょっと気に入らないな~と言って店主を苦笑させてしまいました。
・自宅神棚
「菩提もと つげのひむろ」 同上
こちらはノーマルな方。
「玉旭 blue」 @玉旭酒造@富山
ド定番。
「アルコールを摂取したいだけの人が多すぎる」
アルコールを愉しむ生活習慣よりは日本酒を楽しむ文化がもっと浸透すれば良いのにと思いましたが、
まぁ無理でしょうね。
良い酒は、体力気力や心身ともに、ある程度しっかりしていないと味わえない、のですから。
受け止められないんですよね。
11月のおついたちから12月の冬至、1月の初詣、2月の節分、そして3月のおついたち。
3月は奇数月なので、神恩祈祷を依頼し、昇殿参拝する月である。
年末年始にかけてのこの時期は5か月連続(5回)昇殿参拝をしている。去年もおととしも同じ。
年末・年始、節分の解厄だと祝詞が若干変わるが、式の流れ自体はほぼ変わらない。
それでもなお、同じ昇殿参拝はない。
神気だの何だのというつもりはないが、天候はもちろん、雰囲気であったり、その時の気分であったり、その日に至るまでの経緯であったり、同じ参拝はない。
ただ、神職さんは毎回講話の内容を考えないといけないからけっこう大変だなと思ったりする。
参拝作法も毎回ほぼ同じで、これだけやっていれば覚えているつもりではあるが、決して間違わないということはないし、タイミングが上手くいかない時もある。何より型に執着することは避けねばならない。
「型を間違えてはいけない」事ばかり考えてしまうと肝心の大神様に奉納する感謝の心が疎かになる。
今回は始まりから終わりまで雨。
体調も100%でなければ精神的にも100%ではない。どうも心身ともに優れない。
どうにも春というのは乱れる季節である。
「木の芽時」だからこその「木の芽人」も出現しやすい・・・
禅に「無縄自縛」という言葉があるが、まさにこんな感じである。
そう、誰も悪くない。自分を縛ったり呪ったりしているのは自分に他ならない。
生きているからこそ悩めることもまた有難い、という心境にはいささか遠い。
神恩祈祷が終わり、神職さんの講話が終わる。
今回の答辞は、
「大神様のお陰を持ちまして特に大ごともなく平穏無事でございますが、平穏な時こそ慢心しやすい時。
調子のよい時は悪い時。気持ちが緩みがちな今日この頃です。」
「当たり前が当たり前ではない、このことは言葉で言うほど実感しがたく、ついつい心が緩んでしまいます。」
「大神様の前で、こうして自省できる機会があるのは有り難いことです。」
・・・的な感じでしたかね。
ただし、気を付けないといけないのは、神職さんは職業上の宗教家(厳密には宗教ではないが)なので、問題解決の専門家ではないということ。カウンセラーですらない。あくまでも神前における全般の「仲執持ち(なかとりもち)」である。このあたりをはき違えるとお互いに「重い」だけになる。
まして大神様は自分の内在を映す「鏡」であることを考えれば、こうした答辞は「独白」に近い。
問題の解決を図るというよりは自覚すること、自省することが肝要かと思われる。
このように神仏祖霊に対して、基本的に「祈り、願う」ということはない。
さらに、神さまに祈りました、御先祖様に願いました。
はい大丈夫!・・・・・・ということはあり得ない。
自覚と自省が肝要であるのと同様に、想定と心掛けだけは最低限しておきたい。
たとえば日常生活においてもどれだけ想定しているか・・・。
クルマは必ず歩行者を優先してくれる
→運転する人が必ずしも「正常」とは限らない。
こちらが見えていないかもしれない。
歩きスマホしていても相手が避けてくれる。
→相手が避けてくれることを期待することは運気の低下にもつながるだけでなく、
「当り屋」の可能性だってある。
女性は体目当ての因縁をつけられたり、強盗に遭う可能性が高くなる。
うちには盗られるものがないから泥棒なんかこない。
→入るのは「プロ」だけではない。
食い詰めた素人や外国人が手当たり次第に侵入したうちの一件にたまたまなってしまい、
最悪室内で遭遇して殺されることもある。
権利ばかりに身を委ねて、何かあったら泣きわめいて「被害者さま」になればよい。
そう考えている人が多すぎやしないか、と。
日本人同士だから、あるいは日本人相手だから通用している部分が大きいとは思う。
安全と安心はタダではなく、移民と在日のあふれる未来にはテロの可能性もゼロじゃない。
明日にもあなたの家族や知人が殺されたり、怪我をしたりすることも大げさではない。
間違いなく日本人がやられる側になる。
「当たり前は当たり前ではない」
平和な生活も、あっさり殺されない人間関係も、当たり前ではない世界に入りつつある。
〇今月の奉納酒
・氏神様へ
「菩提もと つげのひむろ 黒澱 蔵内瓶貯蔵」 倉本酒造@奈良
今の醸造法の元祖ともいえる菩提酛仕込み。奈良・正暦寺が発祥だそう。
大神神社の近くの今西酒造(三諸杉など)もこのお寺から分けてもらっていましたかな。
ただ、昔ながらの瓶の口周りの安っぽい金の包装?がイヤなんですよね。
奉納ものにはちょっと気に入らないな~と言って店主を苦笑させてしまいました。
・自宅神棚
「菩提もと つげのひむろ」 同上
こちらはノーマルな方。
「玉旭 blue」 @玉旭酒造@富山
ド定番。
「アルコールを摂取したいだけの人が多すぎる」
アルコールを愉しむ生活習慣よりは日本酒を楽しむ文化がもっと浸透すれば良いのにと思いましたが、
まぁ無理でしょうね。
良い酒は、体力気力や心身ともに、ある程度しっかりしていないと味わえない、のですから。
受け止められないんですよね。
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