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御朱印をもらう資格なし 白虎隊・飯盛山

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※画像は無断の借り物です。

白虎隊御朱印、丁寧に書いたはずが...「手際が悪い」クレームで御朱印帳に記入するサービス取り止め


「書く気持ちにはなれません」

書かれているのは、この店で「白虎隊御朱印」を書き、販売してきた白虎隊墓守家の5代目、飯盛尚子さんのメッセージ。

御朱印について「当分、書く気持ちにはなれません」と観光客の前で書き上げるサービスを取り止めることを知らせる内容だ。

以前は、墓守でもあり書家でもある飯盛さんが、客の持参した御朱印帳に直接記入するサービスを提供していた。しかし順番待ちの人から「一人に何分かけているんだ」とか「手際が悪い」などのクレームが寄せられるようになったという。


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190330-00010000-huffpost-soci


仮にも会津の「白虎隊」の墓前である。このような「我良し」の醜態を晒すなど言語道断。


場を弁えない愚者に成り下がってしまうとは情けない。
しかも人の厚意を理解できないという浅はかさ。当たり前ではないのだから。


墓前での醜態さらし。墓守家の人の厚意を踏みにじる。
(この御朱印を)心から希求していた普通の人々の想いを断ち切る。

まさに恥知らずの俗物どもが犯す罪である。


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会津・白虎隊十九士の墓 (画像は借り物です)



慰霊や参拝が目的ではない、本末転倒な観光地巡りの観光客にとっては苦痛の待ち時間だろうとは思う。

墓守である飯沼氏は、白虎隊士慰霊の為に、自分の土地を松平家に献上してまで墓守を続けてるという誇りがあるだろう。

会津士魂の「ならぬものはならぬのです」。


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会津藩 什の掟(じゅうのおきて)


「御朱印」というものが広まってしまった弊害のひとつですね。
現代では御朱印帳を差し出せば宮司さんや住職さんが書いてくださります。参拝者としては、それだけでも恐れ多いことだと感じ入ると思うのです。


で、よく言われるところの「雑な御朱印だ」とか「心がこもってない」とか「そんなのは欲しくない」とか、それは
大きな勘違いだと思います。そもそもこちらが評価する立場にはないということ。

神職さんやご住職さんと上手く付き合っていくコツは「一般世間的なお客様意識を捨てること」。
あとはやはり崇敬度合いですね。このあたりは言葉ではなく態度・雰囲気になってしまうので、難しいと思います。


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伊勢神宮 外宮
己の真に向くか、あるいは魔に向くか・・・。
神社仏閣は内なる自分(内在)に向き合える神聖な場。



御朱印はあくまでも「参拝した印」であって、あってもなくても関係ありません。本当に参拝した証の云々ならば、その寺社の御札をお受けするべきです。
御札を受けられない(納めるお金がもったいない)、受けてもお祀りできない(面倒くさい)、それでも「目に見える形のモノが欲しい!」という「ライト層」ならば御朱印でガマンするほかありませんが、その場合は分を弁える必要があります。崇敬すらしていないミーハーが、調子に乗ると思うのです。

「御朱印程度でデカい顔するな」というのが崇敬者の気持ちです。


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2019年3月のおついたち参り 安全と平和は祈ってもムダ

遅れながら。
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11月のおついたちから12月の冬至、1月の初詣、2月の節分、そして3月のおついたち。
3月は奇数月なので、神恩祈祷を依頼し、昇殿参拝する月である。
年末年始にかけてのこの時期は5か月連続(5回)昇殿参拝をしている。去年もおととしも同じ。
年末・年始、節分の解厄だと祝詞が若干変わるが、式の流れ自体はほぼ変わらない。

それでもなお、同じ昇殿参拝はない。
神気だの何だのというつもりはないが、天候はもちろん、雰囲気であったり、その時の気分であったり、その日に至るまでの経緯であったり、同じ参拝はない。
ただ、神職さんは毎回講話の内容を考えないといけないからけっこう大変だなと思ったりする。

参拝作法も毎回ほぼ同じで、これだけやっていれば覚えているつもりではあるが、決して間違わないということはないし、タイミングが上手くいかない時もある。何より型に執着することは避けねばならない。
「型を間違えてはいけない」事ばかり考えてしまうと肝心の大神様に奉納する感謝の心が疎かになる。

今回は始まりから終わりまで雨。
体調も100%でなければ精神的にも100%ではない。どうも心身ともに優れない。
どうにも春というのは乱れる季節である。

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「木の芽時」だからこその「木の芽人」も出現しやすい・・・


禅に「無縄自縛」という言葉があるが、まさにこんな感じである。
そう、誰も悪くない。自分を縛ったり呪ったりしているのは自分に他ならない。

生きているからこそ悩めることもまた有難い、という心境にはいささか遠い。

神恩祈祷が終わり、神職さんの講話が終わる。

今回の答辞は、
「大神様のお陰を持ちまして特に大ごともなく平穏無事でございますが、平穏な時こそ慢心しやすい時。
調子のよい時は悪い時。気持ちが緩みがちな今日この頃です。」
「当たり前が当たり前ではない、このことは言葉で言うほど実感しがたく、ついつい心が緩んでしまいます。」
「大神様の前で、こうして自省できる機会があるのは有り難いことです。」

・・・的な感じでしたかね。

ただし、気を付けないといけないのは、神職さんは職業上の宗教家(厳密には宗教ではないが)なので、問題解決の専門家ではないということ。カウンセラーですらない。あくまでも神前における全般の「仲執持ち(なかとりもち)」である。このあたりをはき違えるとお互いに「重い」だけになる。
まして大神様は自分の内在を映す「鏡」であることを考えれば、こうした答辞は「独白」に近い。

問題の解決を図るというよりは自覚すること、自省することが肝要かと思われる。


このように神仏祖霊に対して、基本的に「祈り、願う」ということはない。
さらに、神さまに祈りました、御先祖様に願いました。
はい大丈夫!・・・・・・ということはあり得ない。

自覚と自省が肝要であるのと同様に、想定と心掛けだけは最低限しておきたい。


たとえば日常生活においてもどれだけ想定しているか・・・。


クルマは必ず歩行者を優先してくれる
→運転する人が必ずしも「正常」とは限らない。
 こちらが見えていないかもしれない。


歩きスマホしていても相手が避けてくれる。
→相手が避けてくれることを期待することは運気の低下にもつながるだけでなく、
「当り屋」の可能性だってある。
女性は体目当ての因縁をつけられたり、強盗に遭う可能性が高くなる。


うちには盗られるものがないから泥棒なんかこない。
→入るのは「プロ」だけではない。
食い詰めた素人や外国人が手当たり次第に侵入したうちの一件にたまたまなってしまい、
最悪室内で遭遇して殺されることもある。





権利ばかりに身を委ねて、何かあったら泣きわめいて「被害者さま」になればよい。
そう考えている人が多すぎやしないか、と。
日本人同士だから、あるいは日本人相手だから通用している部分が大きいとは思う。


安全と安心はタダではなく、移民と在日のあふれる未来にはテロの可能性もゼロじゃない。
明日にもあなたの家族や知人が殺されたり、怪我をしたりすることも大げさではない。
間違いなく日本人がやられる側になる。

「当たり前は当たり前ではない」
平和な生活も、あっさり殺されない人間関係も、当たり前ではない世界に入りつつある。




〇今月の奉納酒

・氏神様へ
「菩提もと つげのひむろ 黒澱 蔵内瓶貯蔵」 倉本酒造@奈良

今の醸造法の元祖ともいえる菩提酛仕込み。奈良・正暦寺が発祥だそう。
大神神社の近くの今西酒造(三諸杉など)もこのお寺から分けてもらっていましたかな。


ただ、昔ながらの瓶の口周りの安っぽい金の包装?がイヤなんですよね。
奉納ものにはちょっと気に入らないな~と言って店主を苦笑させてしまいました。

・自宅神棚
「菩提もと つげのひむろ」 同上
こちらはノーマルな方。

「玉旭 blue」 @玉旭酒造@富山
ド定番。



「アルコールを摂取したいだけの人が多すぎる」

アルコールを愉しむ生活習慣よりは日本酒を楽しむ文化がもっと浸透すれば良いのにと思いましたが、
まぁ無理でしょうね。



良い酒は、体力気力や心身ともに、ある程度しっかりしていないと味わえない、のですから。
受け止められないんですよね。



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”初期ガリィ”が懐かしい「バトルエンジェル アリータ」


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(私は原作ファンです)


〇映画を観た感想。

初々しくて可愛らしい、それでいてけなげな「初期ガリィ」を堪能できました。
少女時代の、キュートだけどとっても強い彼女の魅力を再び味わえることが出来ました。
だからこそ、終わった時の切なかったこと。

アリータの目の大きさは鑑賞中はまったく気にならなくて、むしろ「サイボーグ」である彼女の人間味を醸し出してくれる。普通の目の大きさだったら逆に印象に残らなくてつまらなかったかも。

原作から哲学的要素を排していると言われているが、興行を考えた娯楽性をもたらすための判断であるとしたら、それはやむを得ない。それは原作を知らない人にとっては重い。


評価などを観る限り、原作ファン以外にも概ね好評であるようです。
ただ、自分の言葉ではうまく説明できない。
これはある意味「原作」に縛られ過ぎている弊害であるように思う。自分自身、原作ありの「実写モノ」の見方を変える必要があると思います。


続編が気になります。
この映画だったらあのシーンはどう描くんだろう? このキャラは誰がやるんだろう?
ものすごく想像力をかきたてさせられます。



以下、ネタバレありです。
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「初期ガリィが懐かしかった!」というのも、「銃夢」シリーズにおけるガリィ(アリータ)は達観系というべきか、「風の谷のナウシカ」漫画版の後期のナウシカのような「超常」的な感じになってしまって、それはもう取り付く島もないほど。



原作だと、ユーゴ(ヒューゴ)が死んだ後の「モーターボール篇」ですでにガチガチの反抗期で、その後の「ザパン篇」で”意識高い系気取りでありつつ微妙にヒネ始めた”になりました。
続く、ザレム地上監察局の走狗となった「Tuned篇」では見事にヒネ曲がってしまいましたが、新恋人のフォギアが登場した頃には多少マシになったものの、

※そのことを敵対関係にあったバージャックの「電(デン)」に指摘されているシーンがある
「電」:ノヴァの息子であるケイオスのもう1つの人格。ガチの武士(もののふ)。


ノヴァとの脳内世界&現実世界において直接対決を経た後は、
(無印版とLO版がごちゃ混ぜですが)

ザレムやイェールに行って、脳筋空手家と殴り合ったり、自分の脳みそがチップだと知っちゃったり、何百年も生きてる歴史の生き証人気取りの吸血鬼に太陽系の運命を丸投げされてしまったり、木星連邦やザレムの中央電脳の協力を(無理やり)してもらったり、生脳ガリィに恋人フォギアを譲ったりで、チップ脳ガリィはすっかりヒネてしまいました。

※ノヴァとの対決後、一旦はノヴァを下したものの、思わぬ反撃によりガリィは大破。
ガリィの遺骸・・・というか欠片がノヴァによってザレムに運ばれて、ナノテクノロジーで再生。その時にこっそり生脳と脳チップが交換されてしまう。

「LO」が終わり「火星戦記」が始まった今や、成長も何も楽しめないヒロインです。
(つまらないわけではありません)

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そういうことで、20年ぶりくらいに「初期ガリィ」にどっぷりできました。しかし、映画の終盤、モーターボールの超大型新人として登場し、ノヴァ打倒を志すその顔はすっかり・・・ああ、成長してしまったんだなぁと切なくなりました。少女時代が終わってしまったんだと。




他に良かった点。

〇表現をがんばっている
原作では当たり前の残酷描写をかなり頑張っている。
首が飛んだり、真っ二つになったり、バラバラになったりするが、さじ加減は絶妙だと思う。

アリータがバラバラになるシーンは映画ならではの悲壮感や悲惨さがにじみ出ている。

●チレンのところは原作そのままに生体標本の方が良かったのでは?・・・と思いましたが、
あれは原作におけるノヴァの研究所がモデルなのではないかと気づきました。
「殺して」状態な訳です。



〇モーターボールのアクションが素晴らしい。
原作では微妙であった「モーターボール篇」を上手くまとめて、映像でとことん楽しませてくれる。
ジャシュガンがチョイ役なのは仕方なし。


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〇場面々々が原作を切り取った感じになっており、原作ファンを喜ばせてくれる

・アリータの表情や風貌が原作のガリィそっくりの画が一瞬だけ、ちょくちょく出てくる

・映画の冒頭、瓦礫の山でジャンクパーツ漁りをしているイドが拾う金属製のスカル等、全体的に小道具がよく出来ています。
また、ヒューゴの乗っていた一輪バイクは「Tuned篇」に出てくるバイクがモデルかと。
クズ鉄町の周囲を囲うウォールの再現度はばっちり。

・バー・カンサスでの乱闘。
特にテーブル上で左右のハンターを同時に酒瓶を蹴り飛ばして当てるシーン。
雰囲気が原作の画と同じなんですね。

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・瀕死を負ったヒューゴがイド診療所で義体装着手術が済み、寝ているところを足側から映している場面。
構図といい、ヒューゴの義体のゴツゴツ感といい、上手い。

・ザレムのチューブの防御リング
ああ、あんな感じなんだって。



〇アリータの演技が上手い
特にベクターのところで怒りが爆発するところが〇。
あの感じはそっくり。「直情径行」な感じがよく出ています。


〇いろんな映画のオマージュあり
ファクトリーのデッキマンがターミネーターみたいだったり、チューブから落下するヒューゴのシーンがタイタニックぽっかったり等々。


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びみょうなところ。

●台本が昔に出た「銃夢」のOVAとほぼ同じ。既視感がある。
チレンやグリュシュカはそこのオリジナルキャラ。
ある意味、安定路線といえる。モーターボール篇を絡ませた上で考えたなら、無理もない。

●イドがイイ人すぎる(笑)

●バーサーカーボディの質感がもうちょっと何とかならんかったか?
「バリアブル骨格筋」の説明がほしかった(笑)

●チレンが解体されてザレム行きの標本になるけれど、脳があるってことは「脳チップ」設定を捨てたってこと?


●機甲術(パンツァ―クンスト)がまんまカンフーアクション
外国人の考える格闘アクションというのはあんな感じなので仕方がないでしょうけど、もうちょっと原作の動きが欲しかったですね。

●義体になったヒューゴがザレムのチューブを無理やりよじ登っていく理由が弱い。
ヒューゴの家族(兄が気球でザレムを目指していた)の回想や、ベクターの「ザレムで乞食をするのか?」に対する返答「ザレムで乞食をするのさ」等がないため、ちょっと弱い。

●ゲルダ(ミシェル・ロドリゲス)が原作より出ている?
ガリィの師匠筋にあたるゲルダが原作より登場しているんではないかな・・・?
ええ、原作「火星戦記」には未だ「機甲術」すらロクに出ておりませんし、作者の遅筆ぶりはなかなか改善しませんねぇ(苦笑)。



〇ノヴァについて
「銃夢」シリーズの最重要キャラにして、漫画史上屈指のマッドサイエンティスト。
ディスティ=ノヴァ教授(エドワート・ノートン)。

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「キャハハ」と「おいちい!」が口癖。

プリン大好きな狂気狂気狂気!のキャラですが、己がモルモットとして生まれたことを知り、それでいてなおその業(カルマ)を自力で克服し、研究を続けている剛の者でもあります。

「私はその生い立ちが人工的な点について君たち(ガリィたち)と変わりはありません」


ガリィの回想で一瞬出てきたときは「コスプレかっ?!」と冷や汗が出ましたが、最後のシーンで多少マトモなビジュアルだったので一安心。
原作ではザレムを追放(逃亡)されクズ鉄町に住んでいますが、映画ではザレムにいます。
「ザレム地上監察局」のビゴット・アイゼンバーグ局長的なポジションかも。


映画では「キャハハ」も「プリンおいちい」もない冷酷無比な科学者な感じで、今後も映画オリジナルになっていくかもしれませんね。



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『アリータ:バトル・エンジェル』公式サイト
http://www.foxmovies-jp.com/alitabattleangel/



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