ストロング系日本酒
方向性も、本質も見誤った「工業廃水」を神前に供えることはできない。
この手の「生酒」の類も神社仏閣には残念ながらお供えできない
常温だと品質が落ちてしまう。
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缶チューハイやビール類ではストロング系の存在感が高まっており、コンビニエンスストアのRTD(チューハイ・サワーなどの低アルコール飲料)の棚の半分を占める売場も見られる。炭酸飲料やスナック菓子でもストロングと銘打つ商品が登場しており、もはや1つのトレンドだ。清酒においても今年に入って、6月に先行して小西酒造がストロング清酒を発売し、秋冬の新商品では他メーカーもスタンスはそれぞれ異なるが、ストロングに分類される商品を一斉投入したことで、清酒業界においてもストロング時代が到来することとなった。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181014-00010000-ssnp-bus_all
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日本酒を貶めた大罪人である大手酒造メーカーがまた愚行を始めようとしている気がする。
「日本酒=悪酔い」のイメージが再来するだけでなく、またもや「不味い」烙印を押されてしまう。
酔いたいだけの飲料ではないのだ。
まさに「虚無の酒」
ある意味、それに徹しているチューハイのストロング系とはまた違う気がする。
あれも好きではないが「無し」ではない。
味わうでもない愉しむでもない、「虚無の酒」。
日本酒でもビールでもワインでも、その酒はどのように醸造され、場における扱われ方(飲み方)、そういった歴史、積み重ねがある。ストロング系にはそれがない。なので「虚無の酒」。誰が言ったか知らないけれど、とてもわかりやすい。素材の良さや地域の特性とか料理との相性を楽しむなんてありはしない。
生理現象のように酩酊するためのストロング系。ちょっとした麻薬でもあり、その辺の若者をアル中に誘う。
積極的なアルコール摂取を煽っている節が感じられるのがイヤ。
ここまで揶揄されるのもなかなかスゴイのだが。
それに便乗する形になっている日本酒のストロング系。
追求しているのは味ではなくアルコール度数。大手酒造は「日本酒」を破壊するのが目的なのかな。
天と地の恵みを受けたお米と清い水が、目に見えない未知の過程(発酵)を経て酒となる。
だからこそ日本酒には「本道」に在ってほしい。米が天照大御神、水が素戔嗚、と解釈される節もあるようです。
そもそも大手酒造の名前が入っている酒とも言えない酒は目にも入らないし、それらを置いている店にはあまり行かないので、選ぶことが無い商品群ではある。お供えすることはまずない。
けれども、アルコールが強ければ良し、同じ値段ならばアルコール度数が高い方をチョイスする・・・そんな価値観が蔓延ってしまうのもまたイヤである。
古代中国の青銅器「爵」。
酒器の一種らしいが、そもそも青銅器で飲む酒は美味いのだろうか・・・?
「泉屋博古館 青銅器コレクション」を見てきましたので、試してみたくなりました。
おついたちの自宅神棚にお供えした「本陣 純米ひやおろし生詰@潜龍酒造と 「白龍 純米吟醸」@吉田酒造はなかなかのお味でした。どちらもあっさりとしていて、前者はクイクイっと進む感じ。後者は飲んだ後からあと一口、あと一口と飲みたくなる感じです。
「良い酒」「美味い酒」というのは飲むのに意外なくらい「体力・気力」が要ります。
味がしなくなったら、あるいは不味い時は「心身に余裕が無い」ことが多いです。
美味い酒が飲めるのも家や親兄弟のお陰であることを再確認ですね。
家でしっとり楽しむのが基本なので、こういうのは行かない。というか、人が多すぎて行けない。
落ち着かないのだ。
ひたすらディスコミュニケーション。
この手の「生酒」の類も神社仏閣には残念ながらお供えできない
常温だと品質が落ちてしまう。
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缶チューハイやビール類ではストロング系の存在感が高まっており、コンビニエンスストアのRTD(チューハイ・サワーなどの低アルコール飲料)の棚の半分を占める売場も見られる。炭酸飲料やスナック菓子でもストロングと銘打つ商品が登場しており、もはや1つのトレンドだ。清酒においても今年に入って、6月に先行して小西酒造がストロング清酒を発売し、秋冬の新商品では他メーカーもスタンスはそれぞれ異なるが、ストロングに分類される商品を一斉投入したことで、清酒業界においてもストロング時代が到来することとなった。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181014-00010000-ssnp-bus_all
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日本酒を貶めた大罪人である大手酒造メーカーがまた愚行を始めようとしている気がする。
「日本酒=悪酔い」のイメージが再来するだけでなく、またもや「不味い」烙印を押されてしまう。
酔いたいだけの飲料ではないのだ。
まさに「虚無の酒」
ある意味、それに徹しているチューハイのストロング系とはまた違う気がする。
あれも好きではないが「無し」ではない。
味わうでもない愉しむでもない、「虚無の酒」。
日本酒でもビールでもワインでも、その酒はどのように醸造され、場における扱われ方(飲み方)、そういった歴史、積み重ねがある。ストロング系にはそれがない。なので「虚無の酒」。誰が言ったか知らないけれど、とてもわかりやすい。素材の良さや地域の特性とか料理との相性を楽しむなんてありはしない。
生理現象のように酩酊するためのストロング系。ちょっとした麻薬でもあり、その辺の若者をアル中に誘う。
積極的なアルコール摂取を煽っている節が感じられるのがイヤ。
ここまで揶揄されるのもなかなかスゴイのだが。
それに便乗する形になっている日本酒のストロング系。
追求しているのは味ではなくアルコール度数。大手酒造は「日本酒」を破壊するのが目的なのかな。
天と地の恵みを受けたお米と清い水が、目に見えない未知の過程(発酵)を経て酒となる。
だからこそ日本酒には「本道」に在ってほしい。米が天照大御神、水が素戔嗚、と解釈される節もあるようです。
そもそも大手酒造の名前が入っている酒とも言えない酒は目にも入らないし、それらを置いている店にはあまり行かないので、選ぶことが無い商品群ではある。お供えすることはまずない。
けれども、アルコールが強ければ良し、同じ値段ならばアルコール度数が高い方をチョイスする・・・そんな価値観が蔓延ってしまうのもまたイヤである。
古代中国の青銅器「爵」。
酒器の一種らしいが、そもそも青銅器で飲む酒は美味いのだろうか・・・?
「泉屋博古館 青銅器コレクション」を見てきましたので、試してみたくなりました。
おついたちの自宅神棚にお供えした「本陣 純米ひやおろし生詰@潜龍酒造と 「白龍 純米吟醸」@吉田酒造はなかなかのお味でした。どちらもあっさりとしていて、前者はクイクイっと進む感じ。後者は飲んだ後からあと一口、あと一口と飲みたくなる感じです。
「良い酒」「美味い酒」というのは飲むのに意外なくらい「体力・気力」が要ります。
味がしなくなったら、あるいは不味い時は「心身に余裕が無い」ことが多いです。
美味い酒が飲めるのも家や親兄弟のお陰であることを再確認ですね。
家でしっとり楽しむのが基本なので、こういうのは行かない。というか、人が多すぎて行けない。
落ち着かないのだ。
ひたすらディスコミュニケーション。