伊勢神宮の御朱印は努力が足りてない
〇伊勢神宮はもともと「個人の参拝を想定していない聖地」。
天皇の皇女である倭姫(やまとひめ)が、国家安泰・日本の繁栄・世界平和を祈念する「だけ」の場所のために「発見された聖地」であり、個人参拝と関係のない公的な場所。
そもそも一般的な神社における拝殿スペースがなく、正殿のみ。
一般人や僧侶の参拝が禁止されていた時代も長く、
西行法師(1118~1190。平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人)
「何事のおわしますをば知らねども かたじけなさに涙こぼるる」
西行法師も宇治橋を渡ることなく、五十鈴川の対岸から詠んだこの歌は有名です。
江戸時代は一生に一度、伊勢神宮に何とか参拝することが日本人の夢でした。
一般人は藩を出ることも関所があり簡単には許されず、「伊勢神宮参拝」だということで特別に許可をされていたのです。
明治天皇が二千年の歴史のある伊勢神宮を個人にも開放。個人からの寄付や祈願も受け付けるようになります。
平成後半になると、サンダルでもベビーカーでも何でもOK!
そして明治・大正・昭和・平成・・・・・2度の世界大戦と幾多の大震災や災害を経て、令和元年。
一般女性「伊勢神宮の御朱印はシンプルで努力が足りてない!」
一般女性(昭和or平成生まれ。職業不詳。趣味・御朱印集め)
「達筆で書かれた神社名も有難い言葉もイラストもカラフルな印を散りばめていることもなく、「奉拝」の字すらない。伊勢神宮は努力が足りないのではないか?」
「伊勢神宮は格式と知名度にアグラをかいているのではないか」
「これではスタンプラリーと同じではないか」
「慎みて 怠ることなかれ」
倭姫が甥である倭健命に草薙剣を授けた時に贈った言葉
その2千年後、一般女性が
「御朱印を怠っているんじゃないンですか?」
**********************
「伊勢神宮の御朱印はシンプルで努力が足りてない」
先のブログにも書きましたが、あまりのパワーワードについつい(苦笑)。
一般庶民が伊勢神宮をこのように悪しざまにする時代が訪れてしまいましたね。
ディズニーのアトラクション感覚です。
少なくとも江戸後半~平成前半において伊勢神宮に参拝した人間全員を敵に回した観すらあります(笑)。
子孫の、あまりの無教養さと能天気ぶりに祖霊一同は泣いて天照大神に謝罪しているんじゃないでしょうか(爆)。
ただ、御朱印を集めるように誘導する内容の本やメディアが多いのも事実で、それに乗っかる寺社も少なくありません。かっこいい系、かわいい系のを取り上げて紹介したり、限定で煽ったり。
もし私がどこかの氏子や檀家だったら「格式」を求めたいので、「お絵かき御朱印」は勘弁してもらいたいです。
双方に節度が必要だとは思います。
いずれにせよ、日本国民が「お花畑」過ぎて先行きが不安になりますね。