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「癒し」は「卑しい」 

ふと思い出した。


ペットショップ勤務時代の事。
ペットショップには「愛情こ〇き」がよく来る。


〇風物詩「ヒナ鳥」

たまに野外で鳥のヒナを拾った人が来る。
「季節的イベント」でもあるので特に珍しくは無い。しかし、正直なところ、対応が面倒くさい。


どこのペットショップであっても「野鳥のヒナ」は専門外であることを念押しし、獣医に連れていくことを推奨。
そもそも野生のヒナを拾う事を推奨しているところは何処にもないのだが、そんなことはすでに耳に入らない。

「でも、かわいそう」


必要な用品を説明し、特にヒーター関係が必須であることを伝える。
鳥の体温はとても高い為、またヒナは自分で体温が保てない為、しっかりとした保温が大事。もちろん餌だってヒナが幼ければ幼いほど頻繁に与えなければならない。

だけど、「とても買えない」「高い」「お金をかけられない」「買って死んだらどうしよう」が常套句。

それでも「かわいそうだから」と食い下がる。

その人たちの頭の中には
かわいそうかわいそうかわいそうかわいそうかわいそうかわいそうかわいそうかわいそうかわいそうかわいそうかわいそうじぶんがかわいそうかわいそうかわいそうかわいそうかわいそうかわいそうかわいそうかわいそうかわいそうかわいそうなひなをそだてられないじぶんがかわいそうかわいそうかわいそうかわいそう

しかない。

お金も無いけど理性も無い。それでいて欲が深く、自我を制止できない。
また、数少ない(他人の)成功例や過去の美化されきった、たった一回の偶然という経験を後生大事にし、自分の思うトコロに任せないコトを拒否する。

時には小学生時代の偶然を昨日のことのように語る。
脳内の落書きをひけらかすな、そんなもの観たくもないんだよ。


自分より「か弱~い存在を」見つけた喜びと、何もしてあげられない自分への自己憐憫。



自分より弱い存在というのは、ひとつの「試し」であるかもしれない。
守ってあげたい気持ちを押さえて自然にすべてをお任せするのも、
大金をはたいて、上手くいくかどうかわからないコトに挑戦してみるのも、
それもまた選択。

ヒナを守りたい、手元に置きたい、大きくして手乗りにしたい、でも大金はかけたくない、手間もかけたくない、あれもこれもそれもどれも満たしたい・・・そういう欲望に駆られてしまう者こそが、貧乏人の卑しんぼである。




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