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武士は「弓馬の道」の国ですから

武蔵20150505.jpg

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第二次世界大戦で日本海軍連合艦隊の旗艦を務めた巨大戦艦「武蔵」が主砲を発射した瞬間を捉えた写真を、同艦幹部の遺族が保管していることが分かった。姉妹艦「大和」を含め、世界最大の46センチ砲を撃つ写真が見つかったのは初めて。専門家は「『大和』型の詳細を伝える貴重な資料」と話している。(毎日新聞)

http://news.yahoo.co.jp/pickup/6159092

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武蔵の横幅が40メートル弱なので、噴煙だけでもそれ以上あるということです。
航行中だと思いますが、ブレている感じがまったくない。すごいですね。

しかも、この砲筒ですが二重構造になっているらしく、ライフリングの部分だけ
交換できるそうです。このサイズで?

そもそも武蔵にしても大和にしても、あのサイズで設計図通りに完成しただけでも
とんでもないことらしいのですが。


既存艦の改造でもない「正規空母」も世界で先駆けて製造&運用しましたし、
当時の状況を踏まえて考えれば、こんな極東の島国が
戦艦だけでなく空母も保有している事は異常(笑)。

各国の士官学校で戦史を学ぶ士官候補生がこの事実を知って驚くそうです。


世界最大の46センチ砲。
艦載機で遠くの敵を攻撃する空母。

日本は昔から「飛び道具」が好きみたいですね。
武士を「弓馬の道」というのはまさにそのとおりで、馬術と弓術こそが武士たる由縁。
弓馬354995_2.jpg
江戸以降、いろいろあって「日本刀の呪縛」にかかってしまってますが・・・・・。



和弓はサイズ的には世界最大級で、イングランドのロングボウにも勝るとも劣らないようです。

たった2丁の火縄銃から、戦国末期には国内の保有数がおよそ50万丁にもなりました。
これは当時では世界最大とのこと。
火打ち式(フリントロック)の銃も後から入ってきましたが、
生産体制と運用ノウハウが火縄銃用になってしまっていたため、本格的には
導入しなかったみたいですね。まさに「ガラケー」みたいな感じです。

もっとも、当時は豊臣だったり徳川だったりで、大方の政権が決まっていたため、
うっかり「新兵器」あたりが入ってこられても困りものだったのではないかと。

印地7Ikbz.jpg
投石の技術もなかなか大変なものでした。
印地(いんぢ)とも呼ばれ、手で投げたり、補助具(手ぬぐい、補助器具など)を用いたり、
戦闘から行事まで幅広く使われてました。
合戦ではローコストでお手軽さが受け、熟達した兵士だと弓の飛距離に匹敵。
しかも甲冑の上からでもかなり衝撃を与えられたので効果が高かったようです。
日本の甲冑には対衝撃のクッションなどはなく、鎧の上から槍などでぶっ叩くのが
白兵戦の常套手段でしたので。

投石は世界中で原始時代からある普遍的な手法ではありますが、
日本では神道系での伝承が珍しいかと。

神道や修験道、仏教などでは、自衛的な目的で武術的なノウハウを保有していることが多々あり、
その一環ではないかと思います。
ただ、今ではあんまり伝承されていないので、特に素手で投げる(武術的な)方法は
よくわからないですね。たぶん、野球の投球フォームとは異なると思います。
つかいどころなどの口伝は失われているでしょうねぇ・・・。



飛び道具の怖さを知り尽くしていると思えば、日本の銃器規制の強さも
理解できるというものです。

武術などでも、どうしても相手と1ミリでも遠くからあれこれしたくなるのです。
離れたいのです。
ただ、体格差があればリーチの差で一方的になってしまうので、
心理に反して懐に潜り込むということに努めるわけです。
このあたりがいわゆる「踏込みが浅い」ことに繋がるようで。


また、日本人ってどちらかというと身体的にも精神的にも
あんまりくっつきたがらない人種・文化のようでそのあたりも
関係しているんじゃないかと思います。

「個」が確立しているといいますか、ね。


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