太極拳 [身体を動かすコト]
2/28に異種格闘技イベント「巌流島」が東京・ディファ有明にて開催。異種格闘技戦ということで、なんと太極拳も出場。対戦相手はグローブ空手。気になる結果は「1R6秒 パウンドによるTKO」。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150302-00000031-tospoweb-fight
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開戦して接触した瞬間にカウンターがヒットし、そのまま転倒。そこから空手の選手が下段パンチを出したところで、TKO。
6秒・・・まぁ、こんなものであろう。
ちなみに優勝はオランダのキックボクサー。ピーター・アーツの孫弟子らしい。いたって妥当である。
太極拳をしている身としては勝って欲しいという気持ちもあったが、こんなものだ。
太極拳は強い、ような気もする。
一応は幻想を抱く。
そもそも中国人による太極拳、というかだいたいの中国武術のコンセプトは、
・先手必勝・・・闇討ちだまし討ちでも何でも相手が100%になる前に一撃を加える
・武器当然・・・素手なんてありえない。ポケットにナイフを入れておくと安心
・徹底的・・・勝った時は徹底的にやる。負けたら徹底的に命乞いして逃げる
そもそも太極拳でなくてもいいじゃないかという気もするが、こんな感じである。
武術=暴力のまんまである。武術のテクニックでどうこうしようという考えすらない。
だいたい「太極拳」なんて御大層な名称も、そんな古くないはずだ。
日本人が考える中国武術らしい中国武術が、清代末あたりからぼちぼち「武術・流派」として名乗り出てきたような感じであったと思う。
清代末から中華民国に至る期間は中国拳法が「国術」ということで、もっとも脚光を浴び、研究された時代である。それでもどの流派が強いかと云うより個人の強さが求められたようだ。メインの師匠で修行した後、あちこちの流派を学びに行っていることが多い。横のつながりがすごいのである。うちの流派の祖や周辺の人たちを考えるとそんな気がする。
時すでに近代戦争のまっただ中で銃火器が当然の時代に錯誤的とも云えるが、そんな中でようやく武術としての技術を磨きに磨いた時代であると思う。
ただ、文革でほとんどがオシャカになってしまった。たとえば、もっとも古いと云われる「陳式太極拳」の嫡男が獄死し、嫡流が途絶えているくらいなのだ。文革は後に反省されたが、官民差別はより苛烈となり、政府の監督のもとの武術と化して栄誉と身分を得るか、民間でひっそりと隠棲するかのどちらかしかない。
金にもならず、むしろバカにされる何の得にもならない「民間」武術を受け継ごうなんて物好きがいるわけないのだ。(わざわざ習いに来る日本人が良いカモだったわけである)
今現在普及している簡化24式太極拳は中華人民共和国主導によって制定されたものだ。
人民の健康と労働意欲が云々・・・。お察しの通り、骨抜きにされている。
※骨抜きというよりは、武としての運用方法をまったく正確に伝えていない感じか
ただ、国共内戦により台湾に逃れた国民党政府といっしょにけっこうな数の武術家が渡台している。こちらの方では特に取り締まられることもなく、今に至る。
(私が考える)太極拳の特性をいちおう書いておくと、
相手が本気になる前に(迎撃態勢を整える前に)、
二重三重に罠を掛け、
崩し、反撃&回避をさせない状況に持っていき、
転倒させる。あるいは重い一撃を加える。
・・・という感じになるだろうか。もちろん冗長にやっているヒマはない。基本的には対多数が想定されているので、目の前の相手を倒すなり誰かにぶつけるなり対処したら、次の行動に移さねばならない。
※まだまだ未熟なので、こんなモノではないとは思うのだが。
ただ、相手の力を利用するというのはあって、兄弟子にやられたことがあるが、ハマると抜け出せなくなる。
自分の出した力の延長線上なので警戒ができない。反応・回避ともに遅れてしまう。
あとは、太極拳は打撃技ばかり目が行くが、「相撲」の感覚でやると上手く行くことが多い。
試合というのは本気になった状態の相手が、迎撃態勢を整えているわけで、
もう最初から詰んでいる。なので試合向きではない、とフォローしておく。
そういえば太極拳のキャラは少ない。
「刃牙」シリーズにも、「修羅の門」にも「タフ」にも出ていた記憶がない。
「空手バカ一代」の陳老師。格闘ゲームの「餓狼伝説」にタン・フー・ルーとチン・シンザン。
同じく「DOA」シリーズのレイファンくらいのもの。
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