東国三社参り その1 息栖神社編
東国三社参り、無事に終わりました。
「東国三社参り」とは
*****************
神栖市観光協会公式ホームページより
茨城県南部と千葉県にまたがる地域に「東国三社」と呼ばれる三つの神社があります。
鹿島神宮、香取神宮、息栖神社は東国三社として信仰の篤い神社であり、
現在でも東国三社参り(三社詣でる事)が行われています。
三つの神社が「東国三社」と併せて呼ばれるのは、それぞれに祭られるタケミカヅチ、
フツヌシ、アメノトリフネの三柱の神が、アマテラスに天界から派遣されて、
地上を譲るように迫った「国譲り」神話に由来しています。
http://www.kamisu-kanko.jp/power/
*****************
鹿島神宮・香取神宮・息栖神社それぞれのことも分かりやすいので、上記サイトよりご覧ください。
この地域は交通の便が悪く、ほとんどの場合はクルマで巡回でしょう。
あるいは三社巡りのバスツアーです。
しかし、今回は電車とバスと徒歩で巡ってきました。
こういう地方の旅行にはあまり慣れておらず、田舎のバスやローカル線を
利用するのには正直不安があります。
特に路線バスは苦手です。
東国三社の巡り方には特に決まりはないようで、今回はスケジュールなどの都合で、
息栖神社→鹿島神宮→香取神宮の順番で回りました。
どこをラストにするかで三社巡りの記念お守りが異なることくらいでしょうか。
鹿島神宮:木札 香取神宮:お守り 息栖神社:不明
また、コンプリート的な捉え方をすれば、
鹿島神宮(+元宮・奥宮+海岸鳥居)、
香取神宮(+奥宮+海岸鳥居)、そして息栖神社をもって東国三社となるようです。
鹿島の元宮や海岸鳥居はクルマがないとさすがに無理です。
いっそ野外泊をするつもりで自転車で回るという手も面白そうです。
「息栖神社」
前日から上京し、日曜日の武術の練習会に参加。夜は知人と会食。
宿泊は池袋のカプセルホテル。実は初めてカプセルに泊まるのだが、悪くない。
翌日の月曜日朝5:30起床。
池袋から東京駅へ移動。早めに移動したのが功を奏する。
本来の予定は07:30発だったが、早く着いたので07:10の高速バスに乗った。
おかげで鹿島セントラルホテル発の路線バス10:35に乗ることが出来て
鹿島神宮をゆったり回ることができた。
高速バス「かしま号」に揺られて一路鹿島セントラルホテルを目指す。
平日の朝ながら意外に乗客は多い。窓側が全部埋まりそうかな~・・・という感じ。
大きな荷物は客が勝手にバスのトランクを開けて放り込んでいく。
平日なので観光客は少なめだ。
夜行バスではなかなか寝られないくせにこういうバスだとすぐに寝てしまう。
どこかのサイトから拾ってきたこの地図。心強い。
鹿島セントラルホテルに到着。
高速バスの待合ロビーで休憩&地図確認を済ませて息栖神社へ向かって移動。
ホテルを出てすぐにバス停発見。鹿島神宮駅行きの路線バスを確認。
予想通り誰一人歩いていない・・・。
舗装だけはされているこぎれいな田舎道をテクテクと歩く。
平坦なのでそう辛くはない。砂利のストック場やその運搬が多いせいか、路肩は砂だらけでジャリジャリ。
平坦な道をひたすら歩いているといわゆる「杜(モリ・鎮守の森)」が見えてきた。
開けてきたので風も強くなってきた。
およそ30分くらいで到着。
こじんまりとした神社であるが風格は凄くある印象。面積の割に杜が深い。
息栖神社は香取・鹿島と共に東国三社と呼ばれ、主神は岐神(くなどのかみ)、
配神に天鳥船神(あめのとりふねかみ)、住吉三神(すみよしさんしん)他をお祀りしている。
香取・鹿島は武神で、天鳥船神はその船あるいは先導を務めた神と言われており、交通守護に
霊験あらたかな神とのこと。自由自在に動き回れる「船(乗り物)」ということであろうか?
手水でお浄めし、鳥居をくぐる。
あまり縁のなかった東国の神社であり、歩いてきた甲斐もある。
本殿にまっしぐらに向かい、参拝。御挨拶とこの機会を得たことと旅の無事の感謝を捧げる。
次いで摂社や見所を回る。神木や力石など、おおよそのところはあちこちのサイトに
書かれているので省略。規模の割に巨木が多い印象だ。
面白いのは奉納されたと言われる「錨」。
楼門の裏にポンと立て掛けてあるだけで、錆び放題。
実用本位の武骨な感じで、意外に迫力のある錨だ。
社務所に寄ってみるとおじいさんが新聞を読んでいた。
商売っ気はまったくない感じ。御朱印と三社参りの御神文シールを頂く。
たいていのところは「よいおまいりでした」と云ってくるが、
おじいさんは「ご苦労さん」と。・・・なんか物足りない(笑)。
ここの稲荷のお狐さまはみんなほっかむりをしている。
神社を出て、真向かいにある「忍潮井」を見学する。
大きな鳥居があり、その下に祀られている。
よくある説明であるが、「忍潮井」は神功皇后の三年(194)に造られたものと云われ、
辺り一面海水に覆われていた頃、真水淡水の水脈を発見し、これを噴出させて住民の生活の
水としたものだと。
海水を押し退けて清水が湧出している所から「忍潮井(忍塩井)」の名が付けられたと伝えられている。
「水と人類との関わりの中で最も古い形の井戸」であり、日本霊泉の1つと云われている。
なかなか凄いものだ。
中の瓶の形状は、「男瓶」は直径2m弱。白御影石製で銚子の形。
「女瓶」はやや小振りで土器の形。
中で現場作業員みたいな人が井戸の傍でうろうろしながら携帯で話している。
柵の中に入ってよいのか?と少々迷いながら写真を撮ったり、井戸を覗き込んでいるうちに
どこかへ行ってしまった。近くにはそれらしいハイエースが留まっていた。
前情報として濁っていると見えないということだが、中はぴかぴかである。井戸もよく見える。
どうやら清掃作業が完了して間もないらしい。運が良かった。
実際はもっと澄んでいる。こちらは大きいので「男瓶」?
錦鯉が泳いでいる。
「女瓶」? 泳いでいるのは金魚。
しかし、こんな場所に真水が湧くとは不思議である。
この水には御利益があるとされており、女瓶の水を男性が、男瓶の水を女性が飲むと二人は結ばれるという
言い伝えあり。未確認だが、社務所で井戸の水を販売しているらしい。
松尾芭蕉の句に
「この里は 気吹戸主(いぶきとぬし)の 風寒し」
水郷地方を訪れたのは、貞享四年(一六八七)八月十四日で、親友・鹿島根本寺の仏頂和尚の招きで、
鹿島の月を眺めるためであったという。
忍潮井を眺めながら一身に浴びる風は、たしかに気吹戸主の風であった。
俳句と云うのもなかなか面白いものだな・・・と。
息栖神社を後にするのとちょうど入れ違いくらいで駐車場にクルマが入ってきた。
大学生とおぼしき二人組。まだ午前中なので、おそらくクルマで三社を
回るパターンであろうか?
私は来た道をテクテクと戻る。
今度は追い風だ。足も軽い。
いすゞ自動車のビークロス(VehiCROSS )を発見。
欲しかったクルマだ。
「鹿島神宮編」へ続く
「東国三社参り」とは
*****************
神栖市観光協会公式ホームページより
茨城県南部と千葉県にまたがる地域に「東国三社」と呼ばれる三つの神社があります。
鹿島神宮、香取神宮、息栖神社は東国三社として信仰の篤い神社であり、
現在でも東国三社参り(三社詣でる事)が行われています。
三つの神社が「東国三社」と併せて呼ばれるのは、それぞれに祭られるタケミカヅチ、
フツヌシ、アメノトリフネの三柱の神が、アマテラスに天界から派遣されて、
地上を譲るように迫った「国譲り」神話に由来しています。
http://www.kamisu-kanko.jp/power/
*****************
鹿島神宮・香取神宮・息栖神社それぞれのことも分かりやすいので、上記サイトよりご覧ください。
この地域は交通の便が悪く、ほとんどの場合はクルマで巡回でしょう。
あるいは三社巡りのバスツアーです。
しかし、今回は電車とバスと徒歩で巡ってきました。
こういう地方の旅行にはあまり慣れておらず、田舎のバスやローカル線を
利用するのには正直不安があります。
特に路線バスは苦手です。
東国三社の巡り方には特に決まりはないようで、今回はスケジュールなどの都合で、
息栖神社→鹿島神宮→香取神宮の順番で回りました。
どこをラストにするかで三社巡りの記念お守りが異なることくらいでしょうか。
鹿島神宮:木札 香取神宮:お守り 息栖神社:不明
また、コンプリート的な捉え方をすれば、
鹿島神宮(+元宮・奥宮+海岸鳥居)、
香取神宮(+奥宮+海岸鳥居)、そして息栖神社をもって東国三社となるようです。
鹿島の元宮や海岸鳥居はクルマがないとさすがに無理です。
いっそ野外泊をするつもりで自転車で回るという手も面白そうです。
「息栖神社」
前日から上京し、日曜日の武術の練習会に参加。夜は知人と会食。
宿泊は池袋のカプセルホテル。実は初めてカプセルに泊まるのだが、悪くない。
翌日の月曜日朝5:30起床。
池袋から東京駅へ移動。早めに移動したのが功を奏する。
本来の予定は07:30発だったが、早く着いたので07:10の高速バスに乗った。
おかげで鹿島セントラルホテル発の路線バス10:35に乗ることが出来て
鹿島神宮をゆったり回ることができた。
高速バス「かしま号」に揺られて一路鹿島セントラルホテルを目指す。
平日の朝ながら意外に乗客は多い。窓側が全部埋まりそうかな~・・・という感じ。
大きな荷物は客が勝手にバスのトランクを開けて放り込んでいく。
平日なので観光客は少なめだ。
夜行バスではなかなか寝られないくせにこういうバスだとすぐに寝てしまう。
どこかのサイトから拾ってきたこの地図。心強い。
鹿島セントラルホテルに到着。
高速バスの待合ロビーで休憩&地図確認を済ませて息栖神社へ向かって移動。
ホテルを出てすぐにバス停発見。鹿島神宮駅行きの路線バスを確認。
予想通り誰一人歩いていない・・・。
舗装だけはされているこぎれいな田舎道をテクテクと歩く。
平坦なのでそう辛くはない。砂利のストック場やその運搬が多いせいか、路肩は砂だらけでジャリジャリ。
平坦な道をひたすら歩いているといわゆる「杜(モリ・鎮守の森)」が見えてきた。
開けてきたので風も強くなってきた。
およそ30分くらいで到着。
こじんまりとした神社であるが風格は凄くある印象。面積の割に杜が深い。
息栖神社は香取・鹿島と共に東国三社と呼ばれ、主神は岐神(くなどのかみ)、
配神に天鳥船神(あめのとりふねかみ)、住吉三神(すみよしさんしん)他をお祀りしている。
香取・鹿島は武神で、天鳥船神はその船あるいは先導を務めた神と言われており、交通守護に
霊験あらたかな神とのこと。自由自在に動き回れる「船(乗り物)」ということであろうか?
手水でお浄めし、鳥居をくぐる。
あまり縁のなかった東国の神社であり、歩いてきた甲斐もある。
本殿にまっしぐらに向かい、参拝。御挨拶とこの機会を得たことと旅の無事の感謝を捧げる。
次いで摂社や見所を回る。神木や力石など、おおよそのところはあちこちのサイトに
書かれているので省略。規模の割に巨木が多い印象だ。
面白いのは奉納されたと言われる「錨」。
楼門の裏にポンと立て掛けてあるだけで、錆び放題。
実用本位の武骨な感じで、意外に迫力のある錨だ。
社務所に寄ってみるとおじいさんが新聞を読んでいた。
商売っ気はまったくない感じ。御朱印と三社参りの御神文シールを頂く。
たいていのところは「よいおまいりでした」と云ってくるが、
おじいさんは「ご苦労さん」と。・・・なんか物足りない(笑)。
ここの稲荷のお狐さまはみんなほっかむりをしている。
神社を出て、真向かいにある「忍潮井」を見学する。
大きな鳥居があり、その下に祀られている。
よくある説明であるが、「忍潮井」は神功皇后の三年(194)に造られたものと云われ、
辺り一面海水に覆われていた頃、真水淡水の水脈を発見し、これを噴出させて住民の生活の
水としたものだと。
海水を押し退けて清水が湧出している所から「忍潮井(忍塩井)」の名が付けられたと伝えられている。
「水と人類との関わりの中で最も古い形の井戸」であり、日本霊泉の1つと云われている。
なかなか凄いものだ。
中の瓶の形状は、「男瓶」は直径2m弱。白御影石製で銚子の形。
「女瓶」はやや小振りで土器の形。
中で現場作業員みたいな人が井戸の傍でうろうろしながら携帯で話している。
柵の中に入ってよいのか?と少々迷いながら写真を撮ったり、井戸を覗き込んでいるうちに
どこかへ行ってしまった。近くにはそれらしいハイエースが留まっていた。
前情報として濁っていると見えないということだが、中はぴかぴかである。井戸もよく見える。
どうやら清掃作業が完了して間もないらしい。運が良かった。
実際はもっと澄んでいる。こちらは大きいので「男瓶」?
錦鯉が泳いでいる。
「女瓶」? 泳いでいるのは金魚。
しかし、こんな場所に真水が湧くとは不思議である。
この水には御利益があるとされており、女瓶の水を男性が、男瓶の水を女性が飲むと二人は結ばれるという
言い伝えあり。未確認だが、社務所で井戸の水を販売しているらしい。
松尾芭蕉の句に
「この里は 気吹戸主(いぶきとぬし)の 風寒し」
水郷地方を訪れたのは、貞享四年(一六八七)八月十四日で、親友・鹿島根本寺の仏頂和尚の招きで、
鹿島の月を眺めるためであったという。
忍潮井を眺めながら一身に浴びる風は、たしかに気吹戸主の風であった。
俳句と云うのもなかなか面白いものだな・・・と。
息栖神社を後にするのとちょうど入れ違いくらいで駐車場にクルマが入ってきた。
大学生とおぼしき二人組。まだ午前中なので、おそらくクルマで三社を
回るパターンであろうか?
私は来た道をテクテクと戻る。
今度は追い風だ。足も軽い。
いすゞ自動車のビークロス(VehiCROSS )を発見。
欲しかったクルマだ。
「鹿島神宮編」へ続く
コメント 0