「ゴールデンカムイ」 変態のパイオニア 辺見和夫篇 [ゴールデンカムイ]
美しい。滅びる刹那のその悶え。
”殺したい。殺されたい。相反する願いの包括”
本名:辺見和夫(ヘンミカズオ)
職業:脱獄後はヤン衆(ニシン漁の季節労働者)
属性:殺害欲求と、(抗った上での)被殺害欲求。
年齢:不明。ただし、年齢は鶴見より上、牛山より下という推測あり。
その他:クセがなく、人当たりは大変よい。
モデル:ヘンリー・リー・ルーカス(1936~2001)
アメリカの連続殺人犯。全米17州で300人以上を殺害している。
モデルではありますが、名前と殺人衝動だけのような気もします。
ゴールデンカムイ・アニメ版「殺人ホテルだよ!全員集合」では、とうとう家永カノが登場しますね。
家永カノについては先のブログでも書いていますのでどうぞ。
アニメ版の素敵に「煌めく」辺見さんもとても良かったです。
辺見さんは「人殺し」に臨む「死」の欲動に憑りつかれた変態。「ゴールデンカムイ」における変態キャラのパイオニア的存在。
辺見さんと言えば「玉切り包丁」。
もちろんニシン加工に使う普通の道具です。
辺見さんが興奮するのは「死に抗う姿」。人間が「死に抗う姿」を見たくて、何人も殺す。息をするように殺す。
滅びる刹那のその悶え。なんと美しい。そして、いつの日か、私も(抵抗した上で)殺されたい。死に飲みこまれたい。そんな「殺したい」「殺されたい」と相反する2つの願いを包括するのが辺見さんなのです。
自分が殺されるところを想像してあそこが煌めいています。
白石吉竹は網走監獄で収監されていた時に辺見と知り合いましたが、人当たりの良い常識人だという印象を持っていました。白石もちょっとしたことで助けられたことがあります。
しかし、その印象こそ辺見和雄という「殺人鬼」の隠れ蓑。だからこそ、彼は不気味さ、異常さが際立ちます。
同時期に収監されていた牛山も「もはや行動が読めん」と彼についてコメントしています。
まさに恋する乙女たらん
作中でも語られていますが、彼は幼少期に弟の死を目撃したことが大きな原因です。
辺見の出自は不明ですが、裏山に竹林がある家で育ったと独白しています。
そこには大きなイノシシが住み着いており、ある日そのイノシシに彼の弟が食い殺されるという事件が起きました。弟が必死の抵抗の中、恐怖のうちに絶望して死んでいく目を辺見和雄は目の当たりにします。極限の状況下で圧倒的な力に呑まれ、命の消えゆく様を己の無力さとともに脳に刻み込んでしまいます。彼はその目を思い出す度に「誰でもいいからぶっ殺したくなる」と。
圧倒的な力の前に、弟を救けてやることができなかった無力さ、不甲斐なさ。それを受け止めることが出来なかった、認めたくなかった心理的要因もあるかもしれません。
杉元も戦争で「殺されない為」に相手を殺し続けてきた男です。どれだけの強さがあっても相手を殺さねば殺される理不尽の真っただ中。間近で殺した相手の顔を忘れた事は無いし、まともに死ねるとも思っていないのです。
ある意味、杉元とは似た者同士です。日常生活レベルではどちらも人当たりが良くて優しくて常識人。
でも、前を見て後ろを見たら辺見さんはもう人を殺しているくらいのもの。杉元も、(アシリパさん絡みだと余計に)一瞬で戦闘モードのスイッチが入ってキリングマシーンになってしまう。
どちらも感情で動いていないし、感情が働かなくなる。
辺見さんの切ない願い。
あらゆる抵抗を無力化された上で殺されたい辺見さん。もちろん本気で殺しにかかってきます。
その二人が感情をまったくぶつけ合わない「殺し合い」は名シーンです。
恐怖も憎しみも怒りもそこにはありません。
「愛」は・・・・?
なにこの純愛物語・・・??
冷静に実況して自分を高めている辺見さんが凄すぎる(苦笑)。
「ゴールデンカムイ」アニメ版の第8話ではより一層ピュアなラブストーリーに演出しているのが可笑しくてたまりません。原作でも辺見さんの心理描写が無駄に細かいのですが、西友が心の声と通常の台詞の演じ分けを上手くしていたことと、戦闘シーンでの杉元の台詞が感情をこめていない「棒読み」に近いこともあり、とても面白い仕上がりになっています。
股間の煌めき方が分かりやすくて素晴らしい上にBGMが厳かすぎるだろ・・・(笑)
よくあるパターンとしては、自分の意とは真逆の情けない死に方をすることが多いのですが、辺見さんは絶頂の中で最高に煌きながら死んでいきました。その姿に呆気に取られた読者も多かったのではないかと。
私も姉畑先生でそんな感じでした(笑)。辺見さんは「悪人」であり必ず「報い」があるという物語上の勧善懲悪が成り立っていないのです。また、安直に「同性愛”→”笑える」「変態”→”悪人」という部分で”→”がそのまま使われることはありません。
「不死身の杉元」と呼ばれて武勲抜群の元・兵士である杉元と殺し合いをした挙句、大海の頂点に君臨するシャチ(レプンカムイ)に襲われて殺されるという、最高の幕引きをむしろ賛美している気すらしてきました。殺人鬼だけど「よかったねぇ・・・」と思ってしまう。
もっとも、シャチによってかっさらわれるこのシーンは読者も驚いたんじゃないでしょうか。
それは、ずっと追い求めていた理想の相手や自分を理解し受容してくれる相手と出会ったときの圧倒的歓喜、圧倒的ときめきの描写が上手いこともありますが、誰でもが持っている自己承認欲求なのかもしれません。嘘でもいいから「理解」が欲しい。
これは「江渡貝くぅんと鶴見中尉」でより鮮明に、そして感動的に描かれています。
これもまた、もうひとつの運命の出会い。
生と死の狭間で張りつめる欲望が物語の天秤を動かしている、と作者の野田サトルは語っています。どれだけの悪人であっても変態であっても「断罪」されることはない、と。
倫理や道徳が秤にならないが、かといってクズほど得をすることも無い。
「生」というA点、「死」というB点を結ぶ直線状にはない、任意のC点で動的バランスを取るのが「欲望」。そのC点はまた別のA’点やB’点になり、またそれは欲望C’点によるまた別の三角形(登場人物)を描くのです。
・余談
辺見さんと行くニシン漁と加工解説は分かりやすくて面白いですね。
”殺したい。殺されたい。相反する願いの包括”
本名:辺見和夫(ヘンミカズオ)
職業:脱獄後はヤン衆(ニシン漁の季節労働者)
属性:殺害欲求と、(抗った上での)被殺害欲求。
年齢:不明。ただし、年齢は鶴見より上、牛山より下という推測あり。
その他:クセがなく、人当たりは大変よい。
モデル:ヘンリー・リー・ルーカス(1936~2001)
アメリカの連続殺人犯。全米17州で300人以上を殺害している。
モデルではありますが、名前と殺人衝動だけのような気もします。
ゴールデンカムイ・アニメ版「殺人ホテルだよ!全員集合」では、とうとう家永カノが登場しますね。
家永カノについては先のブログでも書いていますのでどうぞ。
アニメ版の素敵に「煌めく」辺見さんもとても良かったです。
辺見さんは「人殺し」に臨む「死」の欲動に憑りつかれた変態。「ゴールデンカムイ」における変態キャラのパイオニア的存在。
辺見さんと言えば「玉切り包丁」。
もちろんニシン加工に使う普通の道具です。
辺見さんが興奮するのは「死に抗う姿」。人間が「死に抗う姿」を見たくて、何人も殺す。息をするように殺す。
滅びる刹那のその悶え。なんと美しい。そして、いつの日か、私も(抵抗した上で)殺されたい。死に飲みこまれたい。そんな「殺したい」「殺されたい」と相反する2つの願いを包括するのが辺見さんなのです。
自分が殺されるところを想像してあそこが煌めいています。
白石吉竹は網走監獄で収監されていた時に辺見と知り合いましたが、人当たりの良い常識人だという印象を持っていました。白石もちょっとしたことで助けられたことがあります。
しかし、その印象こそ辺見和雄という「殺人鬼」の隠れ蓑。だからこそ、彼は不気味さ、異常さが際立ちます。
同時期に収監されていた牛山も「もはや行動が読めん」と彼についてコメントしています。
まさに恋する乙女たらん
作中でも語られていますが、彼は幼少期に弟の死を目撃したことが大きな原因です。
辺見の出自は不明ですが、裏山に竹林がある家で育ったと独白しています。
そこには大きなイノシシが住み着いており、ある日そのイノシシに彼の弟が食い殺されるという事件が起きました。弟が必死の抵抗の中、恐怖のうちに絶望して死んでいく目を辺見和雄は目の当たりにします。極限の状況下で圧倒的な力に呑まれ、命の消えゆく様を己の無力さとともに脳に刻み込んでしまいます。彼はその目を思い出す度に「誰でもいいからぶっ殺したくなる」と。
圧倒的な力の前に、弟を救けてやることができなかった無力さ、不甲斐なさ。それを受け止めることが出来なかった、認めたくなかった心理的要因もあるかもしれません。
杉元も戦争で「殺されない為」に相手を殺し続けてきた男です。どれだけの強さがあっても相手を殺さねば殺される理不尽の真っただ中。間近で殺した相手の顔を忘れた事は無いし、まともに死ねるとも思っていないのです。
ある意味、杉元とは似た者同士です。日常生活レベルではどちらも人当たりが良くて優しくて常識人。
でも、前を見て後ろを見たら辺見さんはもう人を殺しているくらいのもの。杉元も、(アシリパさん絡みだと余計に)一瞬で戦闘モードのスイッチが入ってキリングマシーンになってしまう。
どちらも感情で動いていないし、感情が働かなくなる。
辺見さんの切ない願い。
あらゆる抵抗を無力化された上で殺されたい辺見さん。もちろん本気で殺しにかかってきます。
その二人が感情をまったくぶつけ合わない「殺し合い」は名シーンです。
恐怖も憎しみも怒りもそこにはありません。
「愛」は・・・・?
なにこの純愛物語・・・??
冷静に実況して自分を高めている辺見さんが凄すぎる(苦笑)。
「ゴールデンカムイ」アニメ版の第8話ではより一層ピュアなラブストーリーに演出しているのが可笑しくてたまりません。原作でも辺見さんの心理描写が無駄に細かいのですが、西友が心の声と通常の台詞の演じ分けを上手くしていたことと、戦闘シーンでの杉元の台詞が感情をこめていない「棒読み」に近いこともあり、とても面白い仕上がりになっています。
股間の煌めき方が分かりやすくて素晴らしい上にBGMが厳かすぎるだろ・・・(笑)
よくあるパターンとしては、自分の意とは真逆の情けない死に方をすることが多いのですが、辺見さんは絶頂の中で最高に煌きながら死んでいきました。その姿に呆気に取られた読者も多かったのではないかと。
私も姉畑先生でそんな感じでした(笑)。辺見さんは「悪人」であり必ず「報い」があるという物語上の勧善懲悪が成り立っていないのです。また、安直に「同性愛”→”笑える」「変態”→”悪人」という部分で”→”がそのまま使われることはありません。
「不死身の杉元」と呼ばれて武勲抜群の元・兵士である杉元と殺し合いをした挙句、大海の頂点に君臨するシャチ(レプンカムイ)に襲われて殺されるという、最高の幕引きをむしろ賛美している気すらしてきました。殺人鬼だけど「よかったねぇ・・・」と思ってしまう。
もっとも、シャチによってかっさらわれるこのシーンは読者も驚いたんじゃないでしょうか。
それは、ずっと追い求めていた理想の相手や自分を理解し受容してくれる相手と出会ったときの圧倒的歓喜、圧倒的ときめきの描写が上手いこともありますが、誰でもが持っている自己承認欲求なのかもしれません。嘘でもいいから「理解」が欲しい。
これは「江渡貝くぅんと鶴見中尉」でより鮮明に、そして感動的に描かれています。
これもまた、もうひとつの運命の出会い。
生と死の狭間で張りつめる欲望が物語の天秤を動かしている、と作者の野田サトルは語っています。どれだけの悪人であっても変態であっても「断罪」されることはない、と。
倫理や道徳が秤にならないが、かといってクズほど得をすることも無い。
「生」というA点、「死」というB点を結ぶ直線状にはない、任意のC点で動的バランスを取るのが「欲望」。そのC点はまた別のA’点やB’点になり、またそれは欲望C’点によるまた別の三角形(登場人物)を描くのです。
・余談
辺見さんと行くニシン漁と加工解説は分かりやすくて面白いですね。
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